他者との関係について、考えたあれこれ

 

これまでさまざまなSNSに投稿した、過去の感情・思考メモとも呼べる蓄積を、どこかでまとめたいと常々思っている。形式を決めかねており、また別にまとめるかもしれないが、最近は他者との関係について考えることが多かったので、関連する過去の投稿を引用しつつ、考えごとの記録としてひとまずまとめてみた。

 

 

最近気づいたのだけれど、「なんとなく気分が乗らない」「嫌だ」と言ったのに対して「なんで?」と自分が納得するまで問い詰める人がとても苦手  はっきりした理由が言えなくても、わたしのなかには「嫌だ」という気持ちが確かに存在しているのに  論理的に説明できないからって、「嫌だ」という感情をなかったことにしないでほしかった

2016年11月5日の投稿


2016年11月5日の投稿

最近気づいたのだけれど、「なんとなく気分が乗らない」「嫌だ」と言ったのに対して「なんで?」と自分が納得するまで問い詰める人がとても苦手


はっきりした理由が言えなくても、わたしのなかには「嫌だ」という気持ちが確かに存在しているのに


論理的に説明できないからって、「嫌だ」という感情をなかったことにしないでほしかった

 

 

最近某SNSで話題になっていた「「嫌だ」が通じない」話に身に覚えがありすぎて、同様の経験をしている方がたくさんいるのだなと驚きながら見ていた。

 

わたしの経験の範囲でしかないが、「嫌だ」が通じないタイプは、相手の「嫌だ」とじぶんの「嫌じゃない」が同じ重さだから、「どうしていつも相手の「嫌だ」という感情を優先しなければいけないのかわからない、じぶんの「嫌じゃない」という感情は蔑ろにされる、身勝手だ」という感覚なのではないかと思う。実際に、「「嫌だ」という気持ちを尊重しろと言うけれど、こっちの「したい」という気持ちを尊重してくれたことはないよね」と言われ、じぶんが間違っているのかもしれない、でもしたくないものはしたくない、と悩んだことがある。そのときは「合わないから距離を置きましょう」も「わたし以外の合意をとれる相手としてください」も却下されてしまい、本当にどうしたらいいかわからなかった。


わたしは理由がわからずとも「嫌だ」という感情は問答無用で最大限尊重されるべきだと思っており、それが当然の環境で育ったので、そうではないタイプとの出会いは衝撃だった。「嫌だ」は感情論であり、非論理的なので納得できない、主張を通したければ説得力のある理由が必要だと考えるひともいる。「嫌だ」が無条件に尊重されるべき感情ならば、「嫌だと言われるのが嫌だ」という感情も尊重しろ、と言うひともいる。話が通じないというよりは、ただ価値観が絶望的に違うので、話し合っても議論は平行線のまま終わるだろう。どちらかが無理に合わせるのではなく、価値観が合う者同士で仲良くする、合わなかったら離れるのがいいのかもしれない。ただし「嫌だ」を聞いてくれない相手は、大抵「距離を置きたい」も聞いてくれないので、離れるのにかなりの労力を要する羽目になり、親しくなるまえに気づけなかったじぶんを呪うことになる。


最近では他者との距離感についても、ひとつの正解があるわけではなく、ただ心地よい距離感が似ている者同士で仲良くすればいいのではないかと思うようになった。わたしはどちらかというと自他の境界をはっきりさせたいタイプで、踏み越えてくるひとは苦手だ。でも踏み越えてくる相手が間違っているわけではなく、単に双方の心地よいと感じる距離感が違っていただけかもしれない。じぶんとまったく同じひとはいないし、そうである必要もない。

 

 

今年学んだこと。人と上手にお付き合いするためには、相手をいちばん好きでいられる距離を推し量り、保つ必要があること。知れば知るほど好きになる、ということばかりではないということ。

2015年12月27日の投稿


2015年12月27日の投稿

今年学んだこと。人と上手にお付き合いするためには、相手をいちばん好きでいられる距離を推し量り、保つ必要があること。知れば知るほど好きになる、ということばかりではないということ。

 

「今日から友だちだよ」と誓っても、お互いに友だちになりたいと思っていても、必ずしも友だちになれるわけではない。誰かと友だちになることは奇跡のようなもの。友だちほど特別で貴重な存在はいないと思ってる。  わたしの場合友だちになれるかどうかは、波長が合うか合わないかにかかっている。でもそれは本人の意志で変えられるものではない(少なくともわたしは変えられない)から、どんなに相手のことが好きでも友だちになれないことのほうが多い。

2017年1月9日の投稿


2017年1月9日の投稿

「今日から友だちだよ」と誓っても、お互いに友だちになりたいと思っていても、必ずしも友だちになれるわけではない。誰かと友だちになることは奇跡のようなもの。友だちほど特別で貴重な存在はいないと思ってる。


わたしの場合友だちになれるかどうかは、波長が合うか合わないかにかかっている。でもそれは本人の意志で変えられるものではない(少なくともわたしは変えられない)から、どんなに相手のことが好きでも友だちになれないことのほうが多い。

 

 

関係性はゼロヒャクではない。昔は、特にいちど距離を縮めてしまうと、それ以降の選択肢が「その距離感を維持する」or「さらに近くなる」or「縁を切る」しかないように思いがちだったが、「お互いがなるべくストレスなく良好な関係でいられる距離まで離れる」という方法もある。もちろん、修復不可能なまでに破綻してしまった関係ではこの方法は使えない。ただ、なんとなく合わなかったかもしれない、またはちょっと近すぎると感じたときに、バッサリと切ってしまうのではなく(それが悪いとはまったく思わないが)、「ちょうどいい距離感を探る」という選択肢もあると気づくと、少し楽になる気がする。どんなに趣味が合っても、相手のことが好きでも、仲良くなりたいと思っても、距離が近いことが正解とは限らない。むしろ、近すぎる距離感は関係性の寿命を縮めかねない。また、お互いの感情と、波長が合う合わないは別ベクトルの問題だ。波長に関しては、チューニングすることはほぼ不可能だと感じているので、潔く諦めて最適な関係性を模索するほうがいい。友だちにはなれなくても、よきクラスメイト、よき同僚にはなれるかもしれない。

 

そもそも友だちとは、ゴールではなく自然な成り行きの結果である。最初から目指すものではない。関係の名前というよりは、化学反応の生成物のようなもので、相手との関係のなかで反応が起こり、たまたま生成されたのが「友だち」だった、という感覚だ。じぶんを表す化学式も、相手の化学式も、「友だち」の組成もわからないので、どういう反応が起これば友だちになるのかは不明だ。さらにその性質は絶えず変化するので、定義することも難しい。ただ、「友だち」と呼べる状態のときもあれば、そうでないときもあり、意志の力では決められないことは確かだ。わたしにとって友だちとは、コントロールの及ばない範囲で起こる現象なのだ。

 

 

わたしも含め気持ちは変わっていくものだし、合わないものは合わないし、そういうものだからなるべく流れるままにしたいなと思う

2024年5月14日の投稿

 

2024年5月14日の投稿

わたしも含め気持ちは変わっていくものだし、合わないものは合わないし、そういうものだからなるべく流れるままにしたいなと思う

 

 

ちょうどいい距離感は常に一定ではなく、その時々で変化していく。つかず離れず、近づいたり離れたりしながら、無理のないかたちでゆらゆらと続く関係が理想的だと思う。

 

 

人間関係はやり直しがきかないのに、失敗から学ぶことが多すぎる。

2015年9月26日の投稿


2015年9月26日の投稿

人間関係はやり直しがきかないのに、失敗から学ぶことが多すぎる。

 

 

わたしはまだ他者と関わるには未熟すぎると感じることがある。もっと精神的に成熟していたら、誰も傷つけずにいられたかもしれないのに。もっと相手を大切にできたかもしれないのに。

 

過去にも現在にも謝りたいことがたくさんある。不用意に距離を縮めたこと、相手のNoをちゃんと受け取れなかったこと、意地悪な言動で傷つけたこと。それ以上に、気づけていない過ちがたくさんあるだろう。

 

相手に大切にされなかったと感じる関係は、大抵わたしもまた相手を大切にできていなかった。相手を対等な存在として認識できていなかった。わたしにとって、初期段階で相手に抱いた違和感は、波長が合っていないサインであり、これ以上近づけば相手を大切にできなくなる、その前に離れなさいという警告だった。わたしのように自己犠牲的な考え方が希薄だと、付き合いが浅くてまだ確信は持てないものの、どこか合わないと感じる相手に対して、自己を曲げたり我慢したりしない代わりに、相手を見下す、または攻撃することでじぶんを守ろうとするのかもしれない。最近ようやくそうした心の動きに気づいて、心底ゾッとした。しかも、これが初めてではない。振り返れば、以前も小さな違和感、合わないサインを見逃したこと、または取るに足らないものだと軽視したことが、大きなトラブルに発展した。あれから何年も経って、違う相手を傷つけて、ようやく理解できた。相手との相性を見誤り、適切な距離感を保てないときに、生じた摩擦から逃れたくて、無自覚に攻撃的な部分が露呈するのだ。我ながら最低だ。

 

 

じぶんのなかのセクシズム、ルッキズム、エイジズム、その他いろいろな差別的な部分と日々戦っている

2017年7月12日の投稿


2017年7月12日の投稿

じぶんのなかのセクシズム、ルッキズム、エイジズム、その他いろいろな差別的な部分と日々戦っている

 

まずはじぶんのなかから、息のしやすい世界に変えていく

2017年7月12日の投稿


2017年7月12日の投稿

まずはじぶんのなかから、息のしやすい世界に変えていく

 

 

自らの悪い部分を暴き、直視し、受け入れるのはいつでも痛みを伴う作業だ。これまでもずっと、高い理想と正しくないじぶんとのギャップに苦しめられてきた。それでも、ありのままのじぶんと向き合うことを放棄したくない。どんな悪い感情も、心の動きも、なかったことにしたくない。この1年ほど、わたしのなかでの重要なテーマは「自己の矛盾や曖昧さと向き合い、認め、受け入れるところから始める」だった。じぶんの正しくない部分に蓋をし、内部の奥底に封じ込めても、根本的な解決にはならない。理想と本心が乖離したままでいることがいちばん苦しい。じぶんの悪い部分と向き合い、その存在を認める。そうしてはじめて、正しくあるためにはどうすればいいかを考えることができる。世界を変えたいなら、まずはじぶんの内側から変えていくしかない。

 

 

相互さんとお会いすると安心感からついおしゃべりになってしまうけれど、振り返ってあの表現は良くなかったなと反省する点もあり、一生アップデートを繰り返していくしかないんだよな〜と思う。でもわたしのアップデートに他者が付き合う義理はないので、嫌になったらいつでも縁を切って良いのです。最近相互さんとお会いする機会が多かったので、セーフティな場を構成する一員になれるようにいっそう努力しようと思った。

2024年5月9日の投稿


2024年5月9日の投稿

相互さんとお会いすると安心感からついおしゃべりになってしまうけれど、振り返ってあの表現は良くなかったなと反省する点もあり、一生アップデートを繰り返していくしかないんだよな〜と思う でもわたしのアップデートに他者が付き合う義理はないので、嫌になったらいつでも縁を切って良いのです 最近相互さんとお会いする機会が多かったので、セーフティな場を構成する一員になれるようにいっそう努力しようと思った

 

 

人生におけるパートナーは必要としないが、わたしにとって友だちはかけがえのない存在であり、もしいたら嬉しいと思う。他者と関係を築くには未熟である自覚があるのに、交流を望んでしまうじぶんがいる。だったらなおのこと、学んで反省してアップデートし続けるしかない。当然他者は教材ではない。教師でもない。誰もこのアップデートに付き合わせてはならない。消えない過去の過ちからせめて最大限学んで、ぶっつけ本番の関係と丁寧に向き合う。今後の課題だと思っている。

 

日記 5

 

2024年8月18日(日)

 

無気力って治らないものなのだろうか。大学時代、学校にまともに通えずただ寝てばかりいたのは、精神的に辛いことが多かったからだろう。前職でフルタイム勤務になってからは、予定のない休日に一日中寝てしまうのは体力的にきついからだと思っていた。ところが転職してひとり暮らしを辞め、明らかに負担が減った今でも改善される兆しはない。今日は17時ごろにようやく起き上がって、1食目を食べた有様だ。これではよくなるものもよくならない。分かってはいるけれど、無気力だからこそ改善に向けた努力をすることも難しい。

一日中起き上がれない、何もできないという状態を全く経験しない者もいるらしい。羨ましい限りだ。わたしだってやりたいことは山ほどある。ただ横になって休日を溶かしてしまいたいわけではないのに。

 

嬉しいことに、それなりに食べられるようになってきた。今日で連休はおしまい。明日は出社の予定なので、なるべく体調を整えておかなければ。

 

 

2024年8月19日(月)

 

出社するつもりで支度をしていたが、出かける直前に水をひと口飲んだ瞬間、やめようと思った。やっぱり気持ちが悪い。こんな体調で無理をすることはない。在宅勤務に変更する旨を連絡して横になる。入社したばかりの頃は有給休暇もなく、在宅勤務もできず、体調不良でも無理して通勤していて本当に辛かった。今は在宅勤務にできるのがありがたい。

 

所属しているチームは皆柔軟な働き方をしていて、体調や都合に合わせて出社と在宅勤務を切り替えたり、中抜けしたり、早めに退勤したりする。それが当たり前なので、責めるような空気は全くない。基本的にチームワークではなく、個々で完結する仕事内容であることも大きい。面接で融通が効きそうだと感じたのは間違いではなかった。やはりわたしは運がいい。見る目もある。個人の事情に干渉してこない距離感がとても働きやすく、つくづくいい職場に転職したなと思う。

 

と同時に、在宅勤務という選択肢がなく、多少無理して店頭に立つか、有給休暇を消費して休むかの2択だった前職のことを考えてしまう。休みやすい雰囲気を醸成すべくできるかぎりの努力はしたつもりだし、基本的には皆協力的だったが、どうしても欠員が出ると他のメンバーに皺寄せがいってしまう体制では限界があったように思う。ただでさえ人手不足の忙しい現場で、いつでも他者を思いやれるほどの余裕はなかった。そもそも無理をしてまで働かなければ生きていけない社会がおかしいのだ。

 

体調を崩しやすかったり持病を持っていたりすると、有給休暇を療養でほとんど消化してしまう現実も腹立たしくやるせない。わたしはほとんどまるまる遊ぶことに使えるのに、あまりにも不公平だ。体調不良による欠勤はあくまで療養であって休みではない。ふつうの有給休暇とは別に、有給療養休暇が絶対に必要だ。どうせ悪用する者が出てくるとかなんとか言うのだろうけれど。『北風と太陽』の北風のようなことばかりやっていては、ますます生きづらい世の中になるだけだ。楽に生きさせろ。我々にはそう主張する権利がある。

 

 

2024年8月20日(火)

 

朝の電車を数本遅らせてみた。通勤時間帯は遅延が発生しやすいとはいえ、始業30分前に出社することはないのではないかとふと気がついたのだ。早起きは苦手なのでなるべく無理をせず、体の負担を減らす工夫をしようと思う。


今週は雨が続く予報だったが、意外にも晴れている。帰宅するなり、母が「わたし調べによると、天気が回復しそうだけど」と嬉しそうに報告してきた。週末に高尾山に行けないだろうかと考えているのだ。しかし高尾山の天気を調べると、週末に雷マークがついている。直前まで様子を見ることにした。

 

 

2024年8月21日(水)

 

在宅勤務中、窓から心地いい風が入ってきた。リビングと自室の窓を開けると、廊下を経由して、涼しい風が家の中を通り抜ける。レースのカーテンがふわりふわりと揺れる様子に癒されながら、パソコンと向き合う。人工的な冷風よりもずっと気持ちがいい。


毎日午後にオンラインで行われるチームの昼礼で、「他部署からこのチームの出社率が低いという声があった」と言われてから、ずっとそのことを考えている。たしかに、出社を増やすようにという通達はあった。未だにcovid-19が流行しているのに、敢えて今出社メインに戻す必要性がどこまであるのかは疑問だが、一部で業務に支障が出ているとの声があったのがその理由らしい。ただ、現在のチームの出社率は責任者の意見も聞いて決めたことで、業務には支障がないという認識だった。他部署が困っているのだとしたら、現状把握にズレが生じていることになる。どこの部署からの意見かは共有されなかったが、具体的な話を聞いて、出社日を増やすかどうかの判断をしなければならないだろう。部署間でのコミュニケーションが不足しがちなことも、気になってはいる。

 

出社しなければできない業務もある。チーム内では、なるべく不公平にならないようにバランスを考慮して役割分担をし、今のところ問題はなさそうだ。ただ、そもそも在宅勤務が難しい部署もあるだろう。出社必須の業務の配分にも偏りがあるように見える。それぞれが働き方の希望に合わせて、出社ベースか在宅勤務メインか選べるようになってほしい。不公平だからとより負担の大きいほうに合わせるのではなく、なるべく皆がストレスなく働ける方法を考えることがなによりも重要だ。

 

 

2024年8月22日(木)

 

ガールスカウトのキャンプが恋しい。調べると、家からすぐの公民館を拠点に活動している団があることが分かった。こんなに近所にあるなんてと感動したものの、どう考えても所属するのは現実的ではない。年齢的に指導者側の立場になってしまうのも、わたしの望むところではないが、それ以上に、当時は見えていなかった運営の問題点、集団で活動することの難しさを嫌と言うほど思い知ることになるだろう。もうきっとあの頃のように活動を楽しむことはできない。

 

母に訊くと、やはり不透明な運営や、一部の指導者に権力が集中しがちなどの問題があったらしい。もちろん他の団の現状は知る由もないが、ひとが集まることの難しさを考えてしまう。社会運動でも、内部でのハラスメントの告発をよく目にする。たとえ目的や活動内容が素晴らしいものであっても、組織になるとどうしても、権力勾配や暴力、不平等が生まれがちだ。

 

そして、目的や活動内容自体にも疑問を抱いてしまう未来が容易に想像できる。皇族や国連などの権威に好意的な点を思い出すだけでも、わたしには合わないと思う。そもそも、集団で同じ方向を向いて活動することなど、本来不可能ではないのか。組織の中に常に自己批判的な視座がない限り──いや、あったとしても──やがて息苦しくなってしまうだろう。個の尊重と連帯のバランスの難しさ。両立するのかさえ、わたしには分からない。

 

ガールスカウトにはよい思い出がたくさんあるからこそ、もう関わることができないのが悲しい。固定された組織ではなく、もっと流動的でオープンな活動ができたらいいのにと思うが、それでも毎回主催者は必要になるだろう。経験者を募って、ガールスカウトごっこをするしかないのかもしれない。

 

 

2024年8月23日(金)

 

連休明けでいつも以上に働く意欲がないまま、あっという間に週末になった。昼礼で来月の出社スケジュールに偏りがありすぎると指摘され、曜日を変更することにした。子育ても介護も家事もしていない、なににも縛られていないわたしがいちばん融通が効くと思ったからだが、そうやって「聞き分けのいい独身」仕草をすることで、他者に悪影響が及ぶのではないかと少し不安にはなる。いつでも「独身」が調整役にまわらなければならないとは思わないからだ。かと言って、私生活に悪影響を及ぼす働き方を容認するわけにもいかない。いつもこのバランスが難しいと感じており、これから先ますます悩む場面が増えるのではないかという気がする。幸い今の職場は皆優しい。チームのひとりに出社スケジュールを変更すると話したところ、「いつもあなたが動かなければいけないの?大丈夫?」と心配してくれた。もちろん無理はしない。自己犠牲的な行動は絶対にしない質なのだ。むしろ負担が減りそうな出社スケジュールにできたと思う。まさにwin-winだ。


夜、高尾山の天気を調べたが、雷マークが消えることはなかった。せっかく行くなら天候を気にせずゆっくりしたいので、明日は諦めてまた別日にすることになった。

 

 

2024年8月24日(土)

 

朝起きて何気なくSNSを開いたら、TLに「ガールスカウトの掟を思い出した」という投稿が流れてきた。高校の友だちだ。なんてタイムリーなのだろう。思わず「わたしはキャンプが恋しい」とリプライを送ったら、来年の夏にやろうかという話になった。ガールスカウト経験者とキャンプができたらいいのにと考えていたところだったので、こんなに早く具体的になって驚いた。と同時に、やっぱりわたしの人生はそういうふうにできているのだと思った。やりたいことが向こうからやってくる。その友だちとも1年以上会っておらず、そろそろ声をかけてみようかと考えていたのだ。

 

ガールスカウト経験者ではないが、共通の友だちふたりを誘い、4人のLINEグループができた。ひとりは最後に会ったのが2年前で、SNSの更新もないので近況が気になっていた。こうして高校時代の友だちがオンライン上で集まって、ひさしぶりに連絡を取り合っているという事実だけで嬉しくなってしまう。もうじっとしていられなくて、食卓のまわりをスキップで行ったり来たりした。

 

わたし自身はInstagram以外のSNSにはほとんど投稿しなくなっていて、アプリを消してしまおうかと思ったこともあったが、たまにこういうことがあるから辞められない。何年も会わなくても、連絡を取り合わなくても、なんとなく存在を感じられる。そして直接LINEで連絡するよりも話しかけやすいのがSNSのいいところだ。特定の相手に返事を強制することなく呼びかけることもできる。TLのつかず離れずな距離感が好きだ。

 


母妹とおやつを食べているとき、懐かしい絵本の話になった。『100万回生きたねこ』の話題が出ると、妹が「いいなぁ、わたしもそれだけ何回も生きられたら学校も職場選択も悩まなくていいのに!」と言った。妹の生きることへの前向きすぎる姿勢には、度々驚かされる。以前ふたりでお茶をしたときも、来世の夢を語られたことがあった。ここ数年は「生まれてきたくなかった」という気持ちが薄れてはいるものの、わたしは転生なんてまっぴらごめんだ。もしかしたら前世はあったのかもしれないが、とにかく今世限りで終わらせてほしい。妹は来世どころか今世でも長生きする気満々で、22世紀まで生きることを目標にしている。せっかくタイミングよく20世紀末に生まれたからには、3つの世紀を生きたいのだそうだ(なぜかわたしも巻き添えを喰らい、105歳まで生きなければならないことになっている)。

 

妹とわたしは多くの点で真逆だ。大体の仕事を覚えるとすぐに飽きてしまうと言う妹は、学生時代、単発のものから住み込みのリゾートバイトまで、数えきれないほどのありとあらゆるアルバイトをやった。片や環境の変化を嫌うわたしは、初めてのアルバイト先でそのまま正社員になり、8年以上勤めた。海外に行くのが好きな妹は何ヵ国も旅行し、留学したこともあるが、わたしはパスポートすら持っていない。物に執着がなく身軽に暮らしている妹に対して、持ち物が多く常に部屋がごちゃごちゃしているわたし。基本的に交流を面倒くさがり、付き合いの長い友だち数人とだけ細々と関係を続けている妹から見ると、わたしは交友関係が広いと感じるそうだ。

 

それでももっと根本的な、譲れない価値観は似ていて、だからこそ仲がよいのだろう。険悪な雰囲気になることなく、遠慮なくものを言い合えるのは、お互いを大切に思い、尊重する気持ちがあるからだ。正反対の考え方に驚かされ、あるときは救われ、刺激を受けている。血縁を美化するつもりはないし、家族至上主義は滅ぶべきだ。ただ、たまたま運よく相性のいいメンバーが揃った。妹ときょうだいという形で出会えたことを幸運に思う。

 

夜、冷房の効いたリビングで寛いでいると、「お腹が冷えた」と母が薄手の腹巻きを出してきた。どれどれと触らせてもらった妹が、「え!本当に冷たい。わたしはお腹が冷えたことなんてない。」と言うので、じゃあなんでよく腹巻きをしているの!?と母とわたしで突っ込むと、「おじいちゃんが腹巻きで長生きしたから」。あまりにもらしくて笑ってしまった。本当に、生きることに積極的すぎる。そんな妹が大好きだ。

日記 4

 

2024年8月11日(日)

 

眼科に向かう途中で銀座線に乗り換える。ホームに到着した電車に足を踏み入れた瞬間、レトロな内装に感激してしまった。2017年に導入されてからずっと気になっていた、1000系特別仕様車だ。これまで銀座線にはあまり乗る機会がなかったので、お目にかかるのは初めてだった。木目調の壁に深緑の座席。手すりの塗装は大部分が剥げて、元のステンレスが覗いているが、荷棚の部分はマットな金色が綺麗に残っている。吊り革が下がったポールもマットな質感の銀色で、普通のものとは違う。壁につけられた照明も雰囲気があって素敵だ。降りるのが惜しいくらい、素敵な空間だった。


無事に治療を終え、今度は神保町を目指して電車に乗った。待ち合わせの約束をしている母に「終わった」とLINEを送ると、「カレー食べたいからお店探して」と返ってきた。最近のわたしはあまりにも食べられないものが多いので、本人に決めてもらうほうがいいと判断したのだろう。Googleマップを開いて検索をかける。評価が高くて、肉や魚が入っていないメニューがあって、重たくなさそうで、できれば小盛りも選べるお店がいい。そんな欲張りな条件を満たすお店なんて……と思ったが、あった。母にリンクを送ると、いいねと言ってくれた。

 

チャントーヤココナッツカリーの前で待ち合わせて、中に入る。わたしは迷わず野菜カリー、ライスは小盛りにした。

食欲をそそるスパイスの香りとともに運ばれてきた野菜カリーは、湯むきしたトマトがまるまる1つ入っていた。トロトロのトマトと茄子に、歯応えを残したピーマン、オクラ、キャベツ。どの具材もわたしの好きな食感に調理されていて嬉しい。サラサラで食べやすいルーは、ココナッツのコクと甘さが効いた優しい味で、まったく辛くなかった。次は辛さを一段階上げて注文してもいいかもしれない。載っているパクチーの量が想像よりも控えめだったので、トッピングを追加すればよかったと思った。ココナッツとパクチーの組み合わせが大好きなのだ。それはさておき、野菜がたくさん入っていてとても美味しいカリーだった。詳しい原材料は分からないが、少なくとも目視できる範囲では肉や魚や卵が入っていないのもよかった。

 

食事の後は、神保町に来ると必ず立ち寄るお気に入りの古書店を訪れた。哲学、美術、建築、音楽、映画、舞台芸術などの本が充実しており、額装された絵や、レコードも置かれている。眺めているだけでワクワクしてしまう本棚だ。ゆっくりと、端から端まで並んだ背表紙を見ていく。新しい本のツンと澄ました匂いも好きだが、古本の甘い匂いもたまらない。小学生の頃に繰り返し読んだ、母の古い蔵書を思い出して、懐かしい気持ちになる。新しい本は紙質やインクの違いからか、いろいろな匂いがあるのに、古くなるとみな似たような匂いになるのが不思議だ。

何気なく手に取った『名作バレエの楽しみ』という本が面白くて買ってしまった。代表的な68のバレエ作品について、作曲や振付の経緯、稽古と初演のエピソード、あらすじなどが書かれている。鑑賞のお供に良さそうだ。クリーム色に変色して手触りが優しくなった紙も、昔らしい活字もいい。母の古い蔵書と近所の図書館で育ったので、古い本に親しみを覚えるのかもしれない。

 

母が美味しいアイスコーヒーが飲みたいと言い出し、喫茶店に入った。母はよく食後に珈琲を飲みたがる。わたしはホットのブレンドにした。その喫茶店はギャラリーを兼ねていて、真っ赤な壁に額装された大きな油絵がいくつも飾られていた。名の知れた画家の複製画も悪くないが、知らない方の作品であっても、やはり本物の絵は迫力がある。母と店内を眺めていると、注文した品が運ばれてきた。珈琲の香りを楽しみながら、購入した本を開く。贅沢な時間だ。母はと言うと、来るついでに寄ってきたという図書館で借りた本を読み始めた。母のリュックには本が3冊も入っていた。

 

しばらく寛いでいたが、そろそろいちばんの目的地へ向かわねばならない。今日神保町に来たのは他でもない、母の登山靴を買うためだ。去年の秋にわたしと妹が購入したお店で、母も合う靴を選んでもらいたいと思ったらしい。いつの間にそんなに山が好きになったのかと驚くばかりだが、登山仲間が増えるのはいいことだ。

 

基本的になんでもひとりで楽しめるわたしが、唯一始めるのを躊躇した趣味が登山だ。最初からひとりはハードルが高い上に、無理をせず、天候や体調によっては中止や中断をしなければならない登山は、気を遣う相手とでは安全に行動できない。タイミングよく妹が興味を持ってくれたおかげで、ふたりで始めることができた。そして今度は母まで道具を揃えようとしている。わたしにとってふたりは遠慮なくNoを伝えられる相手なので、これは喜ばしいことだった。

 

お店に入ると、以前わたしと妹の靴を選んでくれた足病医の店員さんがいた。わたしたちの顔を見て「前にお会いしましたよね」と声をかけてくれたが、ちょうど他のお客さんの接客をしているところだったので、母の靴は別の店員さんが見てくれることになった。その方もいかにもベテランという雰囲気の、頼もしい店員さんで、母の希望通り、日帰りの登山に行けて、タウンユースもできる靴を提案してくれた。母は即決だった。あの店員さんの元で働いている方々には絶大な信頼を寄せているらしい。

以前お世話になった店員さんの手が空いたので、登山靴を購入した後のことを話した。おすすめしてもらった筑波山に2回登ったこと、教えてもらった大菩薩嶺も気になってはいるものの、日帰りが難しいのでまだ行けていないこと。すると、長瀞もいいですよと教えてくれた。山だけでなく、グルメやパワースポットなどがあって、観光地としても楽しめると言う。帰ったら詳しく調べてみよう。

 

お店を出る頃にはすっかり暗くなり、神保町の街は静かになっていた。古書店街の夜は早いのだ。まだまだ見たいお店があったのに。また今度、朝からゆっくり来ようねと約束して帰路についた。

 

 

2024年8月12日(月)

 

リビングのテーブルに母と妹が向かい合って座り、ノートパソコンでドラマ「降り積もれ孤独な死よ」を観ていた。わたしは不穏なドラマが苦手だが、ふたりはハマっているようだ。リビングの床に寝転がって日記を書いていると、母が「いや〜、こんなやり方じゃ髪の毛の採取なんかできないよ」と言う。すると妹がドラマを一時停止し、「ちょっとお母さんで試させて」と立ち上がった。「なんでよ、わたしじゃなくてもっと適任がいるよ」と母がわたしを指さし、振り返った妹が「ちょっとそこに立って」と指示する。突然恐ろしい実験に巻き込まれ、何をされるのかとドキドキしながら立つと、妹が「ひさしぶりだな〜!鈴木〜!」と言いながらわたしの頭をワシャワシャと触り、それからじぶんの手を見て「一本も取れなかった……」と肩を落とした。見ていた母が「貸して、わたしがやる」と立ち上がり、同じことをする。さっきよりも激しい手つきだったのに、収穫はなかったようだ。やっぱりこの展開は無理があるねとふたりで納得し、また椅子に座って続きを観始めた。髪の毛を毟られなくてよかった。ホッとして寝転がり、また日記の続きに取り掛かる。先週の日曜日の日記が終わらない。まだ山頂にも辿り着かない。登山よりもずっと時間がかかっている。

 


夜は妹の希望で湯葉パーティ。食卓の真ん中にIHコンロを置き、豆乳を入れたフライパンを熱する。妹は右手に菜箸を持ち、左手を火力を調節するボタンに置き、目を見開いて豆乳の表面をじっと見つめている。真剣そのものだ。いつの間にかできていた1枚目の湯葉を上手に掬い、母のお皿にとった。妹曰く、最初の1枚ができた後は3分おきくらいにできるらしい。中心部はすぐにシワシワと膜ができてくるが、妹は触らず、注意深く表面を観察し続ける。そして、スッと端に菜箸を入れると、フライパンの淵まで綺麗に膜になった湯葉が現れる。それをヒョイヒョイとまとめて、それぞれの器にとってくれる。もはや職人技だ。

 

2枚目はわたしにくれた。出来立てトロトロの湯葉を、わさび醤油でいただく。美味しい。なんて贅沢な食べものなんだ。

3周目からは妹がレクチャーし、菜箸を回してそれぞれがじぶんの湯葉を掬って食べた。注意深く観察していると、確かに膜ができてきたときの色の違いが分かる。湯葉に情熱を注ぐ妹は、湯葉ができるのを待ちながらスマホ湯葉について調べ、団扇で仰ぐと早くできるという情報を得た。そこで4周目からは菜箸と一緒に団扇も回すことになった。

 

「なんかお盆って感じだね!」と妹は楽しそうだ。平日は夜ごはんのタイミングが合わないわたしたちが、揃って食卓を囲み、時間のかかる料理を食べていることに特別感を覚えたらしい。上手く言えないけれど、こういうとき、妹がいてよかったなと思う。

 

 

2024年8月13日(火)

 

夕方、明日会うお友だちから「明日はいかがしましょうか」と連絡があった。メインイベントである美術館を訪れる前にお茶をすることになり、Googleマップで周辺を調べる。都心にはこんなにたくさんのお店があるというのに、どうして訪れたい場所がないのだろうか。食べたいものも思い浮かばない。本当はただ会って、おしゃべりができたらそれでいいのに。無料でゆっくりできるスペースがなさすぎる。資本主義め……と怒りながらも、以前マップにピンを立てた場所を見ていくと、ひとついいかもしれないと思えるお店を見つけた。大学生の頃から気になっていたティールームで、パフェが有名だが、紅茶にもこだわりがありそうだ。リンクを送ると、ここにしましょうと返事がきた。行きたい場所が思い浮かばないくせに、その場で適当なお店に入ることもできないので、よさそうなティールームを思い出すことができて一安心だ。店内の雰囲気も、ゆっくり話すのに向いているだろう。

 

博物館・美術館に行くのでもない限り、都内で遊ぶと時間を持て余してしまうことが多いのが悩みだ。飲食店に入る以外で、のんびり過ごす選択肢があまりにも少ない。みんなどうやって遊んでいるのだろうと思う。ウィンドウショッピングも悪くはないが、大きな商業施設はどこも変わり映えしなくて飽きてしまう。また涼しくなったら、ひたすら歩きながらおしゃべりをしたり、ピクニックをしたり、そういう過ごし方をしたい。

 

 

2024年8月14日(水)

 

そのお友だちとゆっくり会うのは、転職後初めてだ。銀座で待ち合わせ、決めていたティールームに入る。紅茶の種類が多くて迷ったが、梨のシャーベットとディンブラを注文した。最近また外食が怖くて、量を控えめにしてしまう。残してはいけないというプレッシャーを感じると、気分が悪くなるのだ。梨のシャーベットはびっくりするくらい濃厚で、すりおろした果実のつぶつぶシャリシャリ食感がおもしろかった。ディンブラも癖がなく美味しい。ポットには茶葉が抜かれずに入っていて、途中で差し湯が出てきた。じぶんで淹れるときは抽出後に茶葉を抜くが、お店では入ったまま供されるほうがありがたい。稀に紅茶色のお湯が出てくることがあるからだ。大好きな大倉陶園カップでいただけるのも嬉しい。

 

ゆっくりお喋りするのが久しぶりだったので、話すことが山ほどあった。あっという間に2時間が経ち、それでもまだ話し足りなかったが、そろそろ出ないといけない時間だ。

 

今日のメインイベントは、出光美術館で開催中の展示「出光美術館の軌跡 ここから、さきへⅢ 日本・東洋陶磁の精華─コレクションの深まり」を鑑賞すること。閉館が17時なので、スタートが遅いと時間切れになってしまう。13時半ごろ美術館に到着し、企画展示の最後の部屋にいるときに閉館30分前のアナウンスがあった。お目当ての展示はギリギリ最後まで観ることができたものの、常設のルオーの展示や陶片室には辿り着けなかった。やはり美術展は4時間は見ておかないといけない。

お友だちとは一緒に陶磁器や工芸品の展示を多く訪れているので、これはあの美術展でも観なかった?と確認しあったり、感想を話したりしながら観た。わたしは展示を観るのがとても遅いので、同じくらい時間をかけてじっくり観るお友だちか、待たせても気にならない母としか美術館には来ない。ひとりで訪れる美術館も大好きだが、こうして感動を分かち合える相手との鑑賞は楽しいものだ。基本的にはそれぞれがじぶんのペースで観て、どちらかが追いついたら喋ったり、また離れたりという距離感も心地いい。

展示の最後は京焼だった。これまでも観る機会は多かったが、丁寧な仕事だなと思うくらいで特に惹かれることはなかった。それが今日はとても良く感じられて、閉館ギリギリまで粘ってじっくり眺めてしまった。今までもたくさん観てきたのに、なぜ魅力に気がつかなかったのだろう。たまにこういうことがある。もっと早くに出会いたかった。

最後の数分で図録と気になった館報を購入し、美術館を出た。帝劇ビルの建て替えのため、今年いっぱいで休館になる出光美術館。それまでにあと2つの企画展が予定されているが、お友だちはこれで訪れるのは最後だと言う。美術館を背景にふたりで記念撮影をした。

 

有楽町で用事を済ませた後、冬に観に行くバレエとミュージカルの日程を決めるためにお茶屋さんに入った。THE8さんも訪れたことのあるお店だ。つくづく趣味が合うなと思う。

いつも抹茶ばかりなので、今日は特撰煎茶にしてみた。出汁のような旨味と甘味が素晴らしい。以前青山のお茶屋さんでいただいた玉露を思い出す。煎茶は年に一度飲むか飲まないかだが、たまにいただくとその凝縮された旨味に驚かされる。他のどのお茶とも違う。じぶんで淹れるならかぶせ茶が甘味が出やすくおすすめだと、煎茶を習っていたお友だちが教えてくれた。今度買ってみようかな。お茶請けの黒糖羊羹も濃厚で香ばしく、とても美味しかった。

お茶をいただきながら、ミュージカル『レ・ミゼラブル』を観に行く日を決める。お目当ての役者さんが出演し、かつふたりの予定が合う日を絞り込んでいく。座席は迷ったが、この冬はまたSEVENTEENのツアーがあるのと、バレエ『くるみ割り人形』も観に行かなければいけないので、欲張らずにA席にすることにした。そうは言ってもなかなかの出費だ。節約しなければ……。

 

あっという間に閉店の時間になってしまい、慌ててお店を出た。まだバレエのほうが決められていない。幸い外の暑さもだいぶ和らいだので、通りのベンチに座って考えることにした。まずバレエ団を選ぶ。なんでも好みが似ているわたしたちは、意見の擦り合わせが必要になることはほとんどない。ただふたりの希望に合うバレエ団を探す作業だ。生演奏は絶対条件。衣装や舞台装飾、演奏の雰囲気等をいくつか見比べて、今年は新国立劇場バレエ団の公演を観に行くことにした。観に行く日を決め、チケットの発売日も調べてスケジュールアプリにメモをする。これで冬の予定は完璧だ。

 

お友だちが欲しい本があると言うので、丸善に寄った。渋谷の丸善ジュンク堂がなくなった後、よく利用するようになったのが青山ブックセンターと、ここ丸善丸の内本店だ。背の高い本棚の間を歩くだけで心踊る。お友だちの付き添いのはずだったのに、いつのまにか手には1冊の本を持っていた。ホフマンの『クルミわりとネズミの王さま』。先日神保町で購入した『名作バレエの楽しみ』を読んでから、ホフマンの童話も読んでみたいと思っていたのだ。バレエの日程が決まったこともあって、つい気分が盛り上がってしまった。

 

それぞれ本を購入し、書店の前でお別れする流れになったので、慌ててお誕生日プレゼントを渡した。今日1日タイミングを測っていたものの、切り出せずにずっと持ち歩いていたのだ。還暦のお祝いということでもっと豪華にしたかったのに、結局いつもと変わり映えしない贈り物になってしまい悔しい。中身はほとんどがわたしとお揃いだ。わたしは友だちへのプレゼントによさそうなものを見つけると、時期に関係なく買って保管しておく。そのときついじぶんの分まで買ってしまうので、いつもお揃いを押しつけることになってしまう。好みが似ているのだから仕方がない。相手にプレゼントを渡すまで、お揃いで買ったじぶんのものも使わずにしまっておく律儀な(?)ところもある。

 


夜になって薄ら体調が悪いかもしれないと感じてはいたが、別れた後にどんどん悪化してしまい、家に着く頃には最悪になっていた。明日は絶対に出かけなければならないのに。激しい吐き気に襲われて、部屋に引き篭もる。体調不良のときほどひとり暮らしではないことを恨む瞬間はない。幸いエアコンがあるため、ドアを閉めていても不審がられることはないが、廊下を歩く音がするたびに声をかけられるのではないかと緊張した。体調が悪いときはひとりでいたい。さっきまで楽しかったのに、こんなに辛い夜になるなんて。

 

 

2024年8月15日(木)

 

吐き気で何も食べられず、寝つけもせず、絶望的な気分でのろのろと外出の準備をしていたら朝になっていた。今日は職場の子と「モネ&フレンズ・アライブ」という没入型展覧会を観に行く。事前に購入したチケットがキャンセルできないのは分かっていたが、勉強料にふたり分の入場料を払ってでも別日にしたいと思えるほどの体調だった。直前まで悩んだものの、やはり行かないという選択肢はない気がした。もしかしたら、遊んでいるうちによくなることもあるかもしれない。とても隠し通す余裕はないので、LINEで体調が悪いことを伝えると、体調に合わせて動くよと返事が来た。ホッとすると同時に、申し訳なく情けなかった。内心怒っていたとしても無理はない。わたしの様子を見て心配する母に、本調子ではないからもしかしたら早く帰って来るかもしれないと伝えて家を出た。

 

今回誘われるまで、没入型展覧会を観に行こうと思ったことはなかった。しかし大学で博物館学を齧った身としては、新たな絵画との関わり方に興味はある。よくある博物館・美術館の展示室は作品が優先で、鑑賞する側の居心地はあまりよくないと言われればそうだと思う。わたしは幼い頃からその雰囲気に慣れ親しんでおり、薄暗くて静かな展示室の空気が大好きだ。でもそれはじぶんの足で歩けることや、長時間立っていられる体力があることと無関係ではない。ずっと立ちっぱなし、寒い、暗い、静かにしなければならない。そういった環境に居心地の悪さを覚えるのは当然だ。また、敷居が高いという意見もある。おしゃれなお出かけ先としてSNSで紹介されているのを度々目にする反面、親しみづらいという印象もまだ根強いのかもしれない。そんな、ふだん博物館や美術館を訪れない層も、没入型展覧会には足を運んでいるような気がするのだ。

昨日会ったお友だちも観に行ったことをSNSで知っていたので、わたしも明日行くんですよと話した。せっかくの機会だから、新しい絵画との出会い方や楽しみ方を見てこようと思ってと言うと、やはりお友だちも同じ目的だったらしい。今度感想を話しましょうねと約束した。

 

チケットは時間指定だったので、待つことなく入場できた。最初に印象派や関わりのある画家たちの簡単な紹介と、印象派に関する基本的な情報や年表のパネル展示がある。モネの庭を再現したフォトブースも用意されており、パステルカラーの造花で埋め尽くされた花壇と、ピンク色の薔薇の造花で作られたアーチがあった。列に並んで順番に写真を撮り、さらに順路を進むと、黒いカーテンをかき分けた先にメインの会場が広がっていた。

床から天井まである、大きな壁のようなスクリーンがいくつも設置され、印象派や関わりのある画家の作品が、クラシックの音楽に合わせて次々と写し出される。くるみ割り人形の曲がいくつか使われていて、思わず体を揺らしてしまった。本当にワルツを踊れたらいいのに。床にも絵の一部が投影されるのがおもしろい。時々絵の中の水面が揺れたり、船や動物が動いたりする演出は、昔好きで観ていたNHKの番組「額縁をくぐって物語の中へ」という番組を思い出させる。

モネの睡蓮の池と橋を再現したフォトブースもあったが、混雑していたので撮影はしなかった。メインの会場に入って50分ほどで映像がワンループしたような気がしたので、次に行こうと思って部屋を出ると、その先は出口だった。1部屋しかないとは知らず驚いてしまった。

 

やはりわたしはどちらかと言えば、実際に作品を観るほうが好きだと思った。でも冬に上野の森美術館で開催されたモネ展は、あまりの盛況にさすがに行く気にならなかった。立ち止まったり座ったりしたままでも楽しむことができて、混雑もあまり気にならない環境で絵画に触れることができるのは悪くないのかもしれない。新たな世界を知り、よい経験になった。

 

会場を出て、お向かいにある日本橋三越へ。見に行きたいと言っていた催物会場をぶらぶらした後、「固形物が食べられなくても、飲み物だけでも飲めるなら」と言われて、候補にあったティールームに入った。注文したデカフェの紅茶も、フルーツのコンポートもほとんど喉を通らなかったが、職場の子が「せっかく準備してきたのに来られなかったらどうしようと思った」とニコニコしているのを見て安堵した。今朝LINEで「体調によってはもしかしたらお茶はできないかもしれない」と伝えていたので、不安にさせたと思う。いつもお出かけ先に合わせて何日も前からコーディネートを考え、服やアクセサリーや小物を新調することもあると聞いていたのに、危うく台無しにするところだった。今日もいつも通り、毛先から爪先まで抜かりのないファッションは、たしかにモネの庭のフォトブースや、ティールームの雰囲気に似合う可愛らしい雰囲気だった。いい形ではないにしろ、とりあえず約束は果たせた。飲食物を前にまた気分が悪くなってしまったわたしの代わりに、コンポートも食べてくれた。

 

ティールームの後は、八重洲の地下街やキャラクターストリート、グランスタ、KITTEをぶらぶらし、新丸ビルで休憩してから、コスメを求めて有楽町と銀座を歩いた。大学生の頃によく遊んでいた、馴染みのあるエリアだ。昨夜からほとんど何も食べられていないのに、歩くのだけはそこまで苦にならなかった。

 

夜ごはんに入ったレストランでも、やはり何も食べることができなかった。リンゴジュースを頼んだが、これがよくなかったようで、ちびちび飲んでいるうちに吐き気に襲われ、軽く話すことさえ困難になってしまった。トイレに立ってどうにか回復させようと努力したが治らず、限界を感じてついに帰りたいと伝えた。慌ただしい解散になってしまい、酷いことをしたと後から思ったが、そのときは体調が悪くてそれどころではなかった。どう思われようと、人前で吐くのだけは嫌だ。

 

もう誰とも会話する余裕がなかったので、帰りの電車で母に「今日はとても疲れたから、帰宅したらすぐ寝るね」とLINEを送った。理解してくれたのか、帰宅後すぐ部屋に引き篭もったわたしの様子を見に来ることはなかった。妹は旅行で帰らないので、今夜は安心してひとりでいられる。ありがたい。

 

事前に断りを入れていたとはいえ、一日中気分が悪くてあまり会話もできず、感じの悪い態度でいたことを反省した。体調の悪さや辛さを感覚として伝えることはできないし、どのみち相手には関係のないことだ。やはり余裕がないときに他者といるべきではない。しかし体調を崩した時点で、今日の約束を延期にしても、予定通りに出かけても、よい結末にならないことくらい分かっていた。体調不良が許される間柄ではないからこそ、前日からもっと緊張感を持って行動しなければいけなかったのに。そもそも、体調がよかった頃と同じように遊べると思うのが間違いなのだと、嫌というほど思い知らされた1日だった。これに懲りて、しばらくハードな遊び方は控えようと思う。

 


母妹とのLINEグループに、妹が写真を載せていた。飛行機に乗る前に空港で現金を下ろしたら、新札が出てきてしまったらしい。母はわたしが優勝だと喜んでいた。こうして勝敗が決まり、ゲームは幕を下ろした。

 

 

2024年8月16日(金)

 

明け方、風と雨の音で目が覚めた。今日は台風が接近する予報だ。まだそこまで荒れている雰囲気はないが、これから酷くなるのだろうか。心地いい雨音に包まれてまた微睡む。

 


昨夜、最寄駅のコンビニで藁にもすがる思いで購入したゼリー飲料を飲んだおかげか、胃が少しだけ固形物を受けつけるようになってきた気がする。寝不足が解消されたのもよかったのかもしれない。とにかく残りの休日はのんびり過ごそうと心に決めた。

 

冬あたりから明らかに胃の不調が増えた。食べても食べなくても気分が悪くなる。幸い、肌身離さず持ち歩いているエチケット袋を使ったことはまだないけれど。引越しの経緯を知る友だちや知り合いには、ストレスが原因ではないかと異口同音に言われた。でもわたしはもうこの生活に不満などない。むしろ職を変えたことでストレスが減ったとさえ感じている。仮に体が追いついていないとして、できることがあるだろうか。病院に行くべきなのか。分からない。以前から生命を維持するための食事には興味が薄かったが、今では完全に義務と化している。できれば何も口にしたくないが、体調のために仕方なく、恐る恐る食べているのだ。食べることが娯楽だった時代が懐かしい。

 


まだ先週の日記を書いていた。日曜日の日記だけがどうしても終わらない。カメラロールを見返して思い出に浸っているうちに、高尾山が恋しくなってしまった。「高尾山に行きたいよ〜!」とリビングの床でジタバタしていると、母が「じゃあ行こう、いつにする」と言ってくれた。日程を決め、「またガイドウォークに参加してマグネットを集めなきゃ」とノリノリの母を見て嬉しくなった。苦行のような食事を頑張る理由ができた。

 

 

2024年8月17日(土)

 

台風一過。濃い青空に、真っ白で立体的な雲。ジリジリと肌を焼く陽射し。一歩外へ出ただけで疲れてしまう暑さだ。

 

昨日の夜は軽く一食食べられたので回復したと思っていたが、今朝はまた固形物を口にできなかった。だからといって引きこもっていても仕方がないので、途中のコンビニで買ったゼリー飲料を、歯につかないように用心してちびちび飲みながら、予約していた歯科に向かう。

covid-19が流行したのをきっかけに行かなくなってしまった、地元の歯科だ。冷たいものが沁みるようになり、数年ぶりに診てもらうことにした。新たな歯科を探すのも面倒だったので、美容院と同様、電車を乗り継いで遥々来たというわけだ。

 

虫歯かもしれないと不安だったが、軽度の知覚過敏だった。それとは別に、親知らずを抜いたほうがいいと言われてしまった。あーあ、ついにその時が。数年前は歯茎の中に埋まっていたのに、どうして中途半端に出てきてしまったんだ。予診表に麻酔が効きづらいと書いてきたことだし、お手柔らかにお願いしたいところだ。

 

市販のものでいいので歯肉炎の薬を塗って、次の診察までに腫れをひかせてほしいと言われたので、ドラッグストアに寄った。ついでに化粧水のコーナーも見てみる。普段白色ワセリンを塗る以外のスキンケアを全くしないのだが、最近乾燥が気になるようになり、何か使ったほうがいいのかもしれないと思い始めた。しばらくあれこれ吟味したものの、毎日使うことを考えるとどれも高すぎる。限られた収入の中で、真っ先に予算を削られるのがスキンケアなのだ。結局歯肉炎の薬だけ購入して店を出た。

 

帰り道、川辺を歩いていると、前からとんぼが飛んでくるのが見えた。思わず立ち止まり、人差し指を高く挙げて待ち構える。とんぼは目もくれず、スイスイっと飛んでいってしまった。

 


どんどん成長し続ける入道雲を見て夕立になるのではないかと思ったが、予想に反して雨は降らなかった。あまり食が進まなかった夜ごはんの後、用事があるという母に付き合って、隣駅にあるショッピングモールまで歩いた。虫がたくさん鳴いている夜だった。「この間の高尾山以外、夏らしいことができなかった」と言う母に、わたしにとってはこうして夜に散歩に出ることが何よりも夏らしいイベントだよと伝えると、「確かに」と嬉しそうに笑った。

 

母は一緒に歩くときは必ず、わたしの手を握る。昔から母の手はいつも熱くて、今日みたいな蒸し暑い夜はちょっと鬱陶しい。でも嫌ではない。何より手を繋いでいれば、躓いたときにすぐ支えられる安心感がある。もう骨折だけはしてほしくない。

 

2時間ほどの散歩から帰宅し、少し食欲が湧いたので夜ごはんの残りを食べた。野菜と一緒に柔らかく煮たスパゲッティ。いつもは硬めを好む我が家だが、これは柔らかいからこそ美味しい味つけだ。食べやすいように配慮してくれたのかもしれない。胃の調子が悪いだけで、常に空腹感はあるので、食べることができてホッとした。このまま順調に回復しますように。

日記 3

 

2024年8月4日(日)

 

夏のお出かけの候補地を話し合っているとき、母が「高尾山はどう?」と言い出した。高尾山といえば、特別な装備がなくても気軽に登れる山として有名だ。日帰りで行けて、登山未経験の母も一緒に楽しめそうな山。悪くない。ところが数年前に1度登ったことがある妹は、あれは登山ではないと口を尖らせた。それに、夏の低山は暑いから行きたくないと。最初は長野を検討していたのに、目星をつけたキャンプ場に空きがなく、いつのまにか高尾山が有力候補になっていたのも気に入らないようだった。それでも最終的には折れて、渋々同意してくれた。

 

わたしは高尾山についてあまり知らなかったが、妹やこれまで知り合いに聞いた話から、登山というよりは観光地なのだろうとぼんやり想像していた。ところが調べるうちに、その印象は全く変わった。高尾山にはいくつもの登山ルートがあり、なかなか本格的な山道もあるのだ。よく知られている、お寺のある舗装された道は1号路。途中から分岐する4号路は、吊り橋が有名な、自然豊かな道だ。沢に沿って歩く6号路は、水の流れる音を聞きながら登れるのが魅力的だったが、1号路や4号路とは違い、リフトやケーブルカーの駅を通らないので、麓から山頂まで自力で歩かなければならない。さらにいちばん本格的と言われる稲荷山コースは、明らかに母と行くのは難しそうだった。母は2年前、旅先のわずかな側溝に足を取られて足首を剥離骨折したことがある。最終日だったのは不幸中の幸いだったが、わたしと妹で両側から支えて帰ってくることになった。いくらわたしと妹がついているとはいえ、山で骨折は勘弁してほしい。高尾山マガジンのYouTubeで登山道の様子を見比べ、結局1号路がいいだろうという結論に至った。舗装された道を行く分、景色を楽しむ余裕がありそうだし、森とお寺にも惹かれるものがあった。

 

登ると決まってからは毎晩のように母とYouTubeでリサーチし、すっかり魅了されていたのだが、妹だけはずっと消極的だった。そして当日の朝──つまり今朝──になって、寝不足だから行かないと言い出した。そんなわけで、母とわたしで登ることになった。

 


妹がいない、母とふたりの登山は少し心細いが、険しい道を歩くわけではない。きっと怪我なく帰って来られるだろう。暑いので無理はせず、行けるところまでは交通機関に頼る。JR高尾駅から京王線に乗り換え、1駅乗って高尾山口で下車。登山口に向かう道は、お土産や軽食、登山用品のお店が立ち並び、いかにも観光地という雰囲気だ。しばらく進むとケーブルカーとリフトの駅が現れる。山の空気を肌で感じたかったので、今回はリフトを選んだ。

 

リフトで1号路の1/3ほどを一気に登り、ついに登山がスタート。とは言っても、舗装された道は広々としていて、傾斜も緩い。いつものお散歩気分で気楽に歩く。さすがは山の中、豊かな森に囲まれて道はほぼ木陰になり、思ったよりも涼しく快適だ。名物であるたこ杉や開運ひっぱり蛸と写真を撮り、薬王院の鳥居の前まで来たところで、すぐ傍に4号路への道を認めた。4号路は舗装こそされていないものの、比較的穏やかな道で、1号路とどちらにするか迷ったのだ。少なくとも、見える範囲は歩きやすそうだ。せっかくだし、ちょっとだけ様子を見に行ってみることにした。

 

ところどころ狭くなるが、なだらかな道が続く。すぐ引き返すつもりだったのに、母はまだ進む気満々のようだ。「どこまで行くの?」と訊くと、「吊り橋を見たい」と言う。吊り橋まで行くと4号路の1/3を歩くことになる。迷ったが、わたしも樹木が青々と茂り、薄暗い森に木漏れ日がきらめく、この道の美しさに魅せられていた。足元に気をつけて、無理はせずゆっくり進むことにした。初めて山に持ってきた一眼レフカメラをリュックから取り出し、惹かれるものをどんどん写真に収める。木の根元にびっしりと生えるシダ植物、薄暗い登山道、木の根が作る複雑な陰影。高尾山全体でよく見られたタマアジサイも、何枚も撮った。可憐な花はもちろん、蓮のような蕾が可愛らしい。将来庭に植えたい花リストに追加だ。母のゆっくりとした歩調は、写真を撮るのに好都合だった。

 

4号路に入ってから20分ほどで吊り橋まで来た。記念撮影をして、「これからどうする?」と訊くと、このまま山頂まで登ると母。妹がいないのもあって不安だったが、骨折後の母の努力は知っている。今ではあの頃より丈夫そうだし、旅先では足元の悪い道や自然の中を歩くこともあると言う。なにより、残り少ないと感じている人生を楽しもうとしている母に対して、危険だからあれもするなこれもするなと止めてばかりでいいのだろうか。素直な気持ちに従えば、どんな結果になろうとも後悔することはない。わたし自身よく知っている。ならば行けるところまで行こう。

 

普段のスニーカーで来てしまったことも不安要素のひとつだったが、階段や整備された木道も多く、歩きにくい場所はあまりなかった。わたしたちを追い越す登山者の服装もさまざまで、本格的な装備だったり、カジュアルなTシャツスタイルだったり。全くアウトドアらしくない服装も見かけた。まるで渋谷の街を歩いているかのような、お洒落なファッションの若者が颯爽と歩いていく様は、森の中で合成のように浮いていて不思議な光景だった。こんなにもいろいろな層に親しまれているなんて、素敵な山だ。

 

15分ほど歩くと、ベンチのある開けた場所に出た。標識には山頂まで0.6kmとある。意外と順調で拍子抜けしてしまった。時々立ち止まって休憩はしていたが、ここでしばらく座って休むことにした。木々の間を抜ける風は爽やかで、その心地よさは冷房とは比べ物にならない。風に揺れる木漏れ日の輝きを眺めていると、大きな黒い蝶が視界に飛び込んできた。風を自由自在に操り、青々と生い茂る植物の間を縫うように移動する。なかなかの速さだ。しばらく目で追っていたが、疲れてしまった。目を閉じると、森の音に包まれる。風に揺れる草木の音、蝉の合唱、鳥のさえずり、虫の羽音。さまざまな動植物の気配。どんな音楽よりも癒される。ずっとこうしていたいくらいだ。

 

持ってきたおやつをつまみ、充分に回復したところで、また歩き始めた。この先は道が2つに分かれる。このまま4号路を行くと山頂まで0.4km、いろはの森コースは0.5km。休憩後で余裕のあったわたしたちは、美しい森をさらに堪能すべく、いろはの森コースを選んだ。

 

いろはの森コースはたくさんの鳥の鳴き声が響き渡っていた。何の鳥か全く判別できないのが残念だ。歌うような、リズミカルで美しいさえずり。途絶えることのない、ピヨピヨと賑やかな鳴き声。姿こそ見えないが、たくさんの鳥が生息していることが分かる。

 

途中のベンチで休憩を挟み、いろはの森コースに進んで15分ほどで端まで来たようだ。立ちはだかる木の階段を登り切ると、舗装された道に繋がっていた。ここからは1号路だ。静かな4号路やいろはの森とは違い、山頂を目指す登山者で賑やかな、平らで歩きやすい道をどんどん登る。山頂付近で4号路と合流した。高尾山は本当にルートが多い。いつかぜんぶ歩くことができるだろうか。

 

ついに山頂が見えてきた。山頂に立つことよりは、山の中でゆっくり過ごす時間を重視するタイプだが、やはり山頂標識を見ると達成感がある。山頂は開けていて、ビジターセンターと複数の飲食店があり、多くの登山者で賑わっていた。その奥には、青い山々が何層にも重なる美しい景色が広がっている。空気が澄んだ日は富士山も見えるらしい。

 

しばらく山頂の景色を楽しんだ後、ビジターセンターを見学した。あまり興味をそそられる展示物はなく、疲れもあってさらりと一周してすぐに出てきてしまった。

 

母がかき氷を買いに行った。木陰の席を確保して待っていると、プラスチックのお椀に溢れんばかりに盛られた、真っ白な塊を慎重に運んで来た。大きな雪玉みたいだ。「何味にしたの?」2本刺さっているスプーンのうちの1本を慎重に抜いたが、側面がほろほろと崩れて地面に落ちた。「いちばんシンプルな、ただのシロップ」。へえ、そんな味があるのか。積もったばかりの雪のような、ふわふわのかき氷をスプーンで掬ってひと口。美味しい。口の中でスッと溶ける。癖がなく、ほんのり甘いシロップがとても好みで、今まで食べたかき氷の中でいちばん美味しく感じた。火照った体に心地よい冷たさだ。

 

かき氷を食べていたら、ビジターセンターの建物から、ガイドウォークのアナウンスが聞こえてきた。「所要時間は約50分、森の中をゆっくり歩きながら、高尾の旬な自然をご紹介します」。思わず母の顔を見る。気になるなら参加してみる?と母。時計を見ると、ちょうど30分後に始まるようだ。受付で参加申し込みを済ませ、お手洗いに寄ったり、撮った写真を見返したりしていたら、あっという間に開始時刻になった。5分前に建物前で集合と聞いていたので向かうと、他に参加者らしき姿はない。そのまま時間になり、ガイドさんが出てきて「それでは行きましょうか!」とにこやかに言った。参加者はわたしたちだけだった。

 

最初に「どんなジャンルが好きですか?例えば虫とか、お花とか。せっかくですから、なるべく興味のあるお話ができたらと思って」と訊かれ、ふたりで悩んでしまった。植生のことも、虫のことも、鳥のことも、なんでも知りたい。どんな話でもおもしろい。母が「強いて言うなら花……かな?」と答えたが、案内してくれたガイドさんは虫が好きみたいだった。わたしたちが虫が平気だと分かると、虫が見つかる場所をたくさん教えてくれた。ビジターセンターのまわりにある、樹液がたくさん出ている木を2箇所案内してもらったが、先ほど下見をしたときはいたという蝶が姿を見せず、悔しそうだった。他にも、地面を這うように移動するドロバチ、ヤマノイモの葉を畳んで家を作るダイミョウセセリの幼虫、枝にぶら下がる葉巻のようなオトシブミのゆりかご。詳しい方と歩く森は発見に満ちていた。多くの虫は決まった植物しか食べないのだという。花の名前もたくさん教わったが、ほとんど忘れてしまった。ガイドさんも、「たくさん名前を言いますけど覚えなくていいですからね、テストとかないんで」と笑った。詳しくなくても好きという気持ちが大事だし、なにより高尾山を好きになって、また来たいと思っていただきたいので!と笑顔で話していた姿が印象に残っている。ひとが好きなものについて語るときの、楽しそうなキラキラした表情が好きだ。

 

ガイドウォークの最後に、用意した資料を用いて説明してくれた。高尾山は都心に近い小さな山だが、動植物の宝庫で、確認された植物は1600種類を超える。その数はイギリス全土で自生する植物とほぼ同数なのだとか。理由として考えられるのは、高尾山が暖温帯と冷温帯に跨っていること。山の北と南で植生が異なり、また沢もあることから、多様な植物が観察できるそう。そして植物がたくさんあるということは、それを食べる虫も多くいるということ。昆虫は約5000種いると言われている。さまざまな鳥やムササビも生息している。なんて豊かな山だろう。ますます高尾山が好きになった。

 

せっかくなので気になっていたことを訊いてみた。登山をしているとき、フィールド調査をしている、大学の研究チームか何かと思われる集団と何度かすれ違ったのだ。白い布やビーティングネットを持っていたので、昆虫の調査だろうか。ジロジロ見るのは失礼だし、邪魔になるといけないので話しかけなかったが、どこの所属で、どんな調査をしているのかずっと気になっていた。残念ながらガイドさんも分からないそうだが、そういう調査自体は珍しくないとのこと。お話を聞いて納得だ。フィールド調査は考古学の測量や発掘しか経験がないが、動植物の調査にも興味がある。いつか体験してみたい。

 

参加者にプレゼントしているという、高尾山で見られる植物が描かれたマグネットを受けとって、ガイドウォークは終了。ガイドさんと別れ、そろそろ下山することにした。帰りは1号路から。薬王院の本社は、日光東照宮を思い出す、極彩色の派手な装飾が印象的だった。調べるとやはり権現造らしい。大本堂は彩色がされておらず色合いは地味だが、やはり彫刻による装飾がびっしりと施されていた。1号路にはあちこちに天狗の像が立っている。山岳信仰について深掘りするのもおもしろそうだ。

 

木々の間から夕日が差す緩やかな下りを、ヒグラシの大合唱を聞きながら歩く。この坂は女坂と言い、別にある急な坂は男坂らしい。山の地名はジェンダー規範を感じるものが多くてうんざりする。楽しい気分に水を差さないでほしい。

 

帰りもリフトで下ることにした。手前にあるケーブルカー駅の展望台でしばし休憩。空を見上げると、とんぼの大群が飛び交っていた。最近とんぼを見ないなと思っていたところだったので興奮してしまった。しばらく景色ととんぼを楽しんでから、リフトの駅に向かう。下山を焦らなくていいところも、高尾山の魅力だ。

 

登山をしていると、地球上の隅々までひとの手が入っている気がして複雑な気持ちになることがある。リフトに乗っているときも毎回、こんなに切り拓かれてしまって……と思うが、同時に、山を輪切りにした断面のような景色に惹かれてしまうじぶんもいる。ただ座っているだけで、鬱蒼とした薄暗い森を見上げるのではなく、真横から眺めることができる不思議な体験だ。

 

16時近かったにも関わらず、すれ違う上りのリフトにもそれなりにお客さんが乗っていて驚いた。あとで知ったことだが、ビアガーデンがあるらしい。それでケーブルカーが夜遅くまで動いているのか。

 

こうして無事に下山し、母がお腹が空いたと言うので、ケーブルカー・リフト駅の目の前にある蕎麦屋さんに入った。小盛りのとろろそばを注文。メニューに「そば粉六割ととろろと上質粉で練った」と書かれていたとおり、ツルツルと食べやすい、美味しいお蕎麦だった。基本的には十割蕎麦が好きだが、登山のあとにはこのくらいさっぱり食べられるほうがありがたい。添えられていた山葵も爽やかで、たくさん使ってしまった。

 

下山後の楽しみといえば温泉。途中のお店で妹へのお土産を購入し、高尾山口駅に併設の温泉施設へ。36度〜38度くらいのぬるめのお湯が多くて嬉しかった。すぐにのぼせてしまうので、熱いお湯は苦手なのだ。ぬるい露天風呂にぼんやり浸かっていると、疲れが全て溶け出していくようだった。

 

持ってきた楽な服に着替え、仮眠スペースで少し横になってから帰路についた。お風呂上がりのサラサラの肌に、夜の風が心地いい。

 

最寄駅を降りて川沿いを歩いていると、秋の虫が鳴いていた。引越して来てから初めて聞いたかもしれない。家の近所に自然を感じられる場所があって嬉しい。わたしは特にコオロギの鳴き声が好きだ。酷暑の中でも生き延びて、こうして今年も鳴いてくれていることもありがたい。

 

帰宅して簡単に夜ごはんを済ませ、ベッドに倒れ込んだ。一日中遊んでさすがに疲れたが、嫌な疲労感ではない。これは幸福感の重さなのかもしれない。体に残る知らないシャンプーやボディソープの香りに非日常を感じながら、目を閉じた。

 

 

2024年8月5日(月)

 

ひさしぶりに途中で起きることなく、アラームが鳴るまでよく寝ていた。それにしても眠すぎる。業務に慣れたら絶対に月曜日も在宅勤務にしたい。


オフィスがあるビルの、最上階のカフェでお昼を食べた。Wi-Fiや電源のあるこのカフェは、持ち込みも可能で、電子レンジまで用意されている。明るい木目調の店内には、さまざまなデザインのテーブルと椅子、フロアランプが置かれ、開放感のある、すっきりとモダンな雰囲気だ。

しかしいちばんの魅力はなんといっても最上階ならではの展望で、お台場の海とレインボーブリッジを一望できる。台場公園や鳥の島、芝浦埠頭や品川埠頭の、いかにも人工的な地形。その背後に立ち並ぶ灰色のビル群と、真っ赤な東京タワー。レインボーブリッジの曲線と、島を覆う青々とした樹木が、無機質で直線的な景色に変化を与えている。対岸に並ぶカラフルなコンテナ、停泊する大きな貨物船、白い軌道を描いて行き交う小さな船やボート、海を渡る道路とモノレール。いつまでも見飽きることのない景色だ。涼しい季節になったら、いつもオフィスから眺めているこの景色を歩いてみたい。

 

 

2024年8月6日(火)

 

帰りに前職の売場に顔を出した。今日はとても忙しい日なので長話はせず、軽く挨拶して差し入れを渡すだけ。ついでに立ち寄った売場で、ずっと購入を迷っていたエコバッグを買ってしまった。

棚にずらりと並ぶエコバッグのなかで、ひときわ目を惹く大振りの赤いタータンチェック。手にとっては、今持っているエコバッグがまだ使えるからと、棚に戻すを繰り返すこと数年。愛用して4年目になったエコバッグも気に入ってはいるものの、さすがにくたびれて汚れが目立ってきた。ちょうど、そろそろ替えてもいいかもしれないと思っていたところだったのだ。

すぐに使いたくなってしまい、帰りの電車を待つホームで開封した。張りのある丈夫そうな素材だ。さっそく一緒に購入した日用品を入れてみる。持ち手の部分が太くてしっかりしているので、肩や腕に掛けたときにあまり負荷を感じない。レジ袋のようなフォルムも可愛い。

服装に合わせて持つことができるように、デザイン違いで複数あったらいいなと思うのに、結局いつもひとつのバッグをくたびれるまで使い続けている。この赤チェックにも数年お世話になることだろう。

 

 

2024年8月7日(水)

 

一眼レフカメラで撮ったポートレートを見返す。8年前、カメラを買ったばかりの頃は、どこへ行くにも持っていて撮らせてもらったものだ。友だち、妹、母、親戚。写真には被写体への愛おしさがそのまま写っていた。他者には伝わらないだろうし、決して上手とも言えないが、わたしにとってはどんな写真よりも魅力的で大切なものだ。ただ、こうしてデータをずっと持っていていいのかという不安もある。確かに合意の上で撮らせてもらったはずだけれど、今の気持ちはわからない。

 

もう二度と会えないであろう友だちの姿もある。写真が手元に残ってしまって申し訳ないと思うのに、消すことができない。星の軌道のようにお互いが自然と遠ざかったのかもしれないし、わたしの幼稚さ故かもしれない。それでも身勝手なわたしは、どこかで幸せに暮らしていますようにと願わずにはいられない。今でもずっと好きでごめん。

 

 

2024年8月8日(木)

 

会社に向かいながら、山と渓谷YouTubeで見た、膝に負担をかけない歩き方の練習をしてみる。階段の上りはなんとなく分かる気がしたものの、下りと平地はまるでダメで、ぎこちない動きになってしまう。帰ったら復習しなければ。


明日来るエアコン設置業者の方に「支払いは現金で」と言われたので、帰りにATMへ。紙幣取り出し口が開き、見慣れないおもちゃのようなお札が目に入った瞬間に、しまったと思った。妹が言い出したゲームのことをすっかり忘れていた。今日現金を下ろさないわけにはいかなかったのでどうしようもないが、妙に悔しい。母と帰宅の遅い妹がリビングに揃ったタイミングで正直に申告すると、「じゃあビリね」と妹。残ったふたりの勝負(?)はまだ続くようだ。

 

 

2024年8月9日(金)

 

連休前の仕事を終え、ようやく設置されたエアコンをつけて、自室のベッドで寛いでいると、突然スマホがけたたましく鳴った。緊急地震速報だ。反射的に飛び起きて部屋のドアを開け、物が倒れてこない、柱に囲まれた場所で待機する。幸いわたしの家は全く揺れなかったが、立て続けに大きな地震があると怖い。

 

非常持ち出し袋は一応用意しているものの、内容に不安はある。最後に中身を点検したのはひとり暮らしをしていたときで、引越し後はクローゼットの足元に置いたきり、まったく触っていない。それとは別に、日頃から持ち歩いたほうがいいアイテムもあるのだろう。地震があるたびに、備えが足りていないことを痛感する。

 

しかし防災備品を揃えるには、それなりにお金がかかる。日々の暮らしで精一杯だったら、買おうという気になれるだろうか。

 

わたしは前々から、政府が全市民に防災備品一式を配るべきだと思っている。また、たとえ着の身着のままで避難することになっても、不安を感じることのない社会を目指すべきである。これだけ自然災害の多い環境なのだから、災害への備えは優先度の高い仕事のひとつであろう。備えを個人任せにするべきではない。そして、誰もが安心して過ごせる避難所の体制を整えなければならない。今の政治に、そんなことはとても望めないけれど。

公園に商業施設を建てている場合か。万博に巨額を注ぎ込んでいる場合か。月末に送られてくる給与明細を見るたびに、怒りが込み上げてくる。こんなに少ない収入から徴収されるのも納得がいかないが、取られるならせめて真っ当に使われてほしい。今年かぎりの定額減税くらいでは、怒りは全く収まらない。

 

 

2024年8月10日(土)

 

今日は相互さんと、ヴィーガン対応のお店巡り&コンサート鑑賞会。待ち合わせ場所に現れた相互さんは、大荷物のわたしを見るなり「DVD重かったよね、ごめんね」と気を遣ってくれたが、どう考えてもDVD1枚でこの量になるわけがない。初めてのSEVENTEEN鑑賞会に盛り上がってしまったわたしは、新旧CARAT棒(SEVENTEENのペンライト)に、DVDに収録されている公演で記念に買ったタオル、さらにTHE8さんとお揃いのカエルのぬいぐるみバッグまで、頼まれてもいないのに持ってきたのだった。新旧CARAT棒は今朝それぞれに新しい電池を入れ、動作確認まで済ませた気合いの入れようだ。

 


南口を出て、最初の目的地であるヤッチェゴへ向かう。ヴィーガン対応の韓国料理がいただける珍しいお店で、Instagramでその存在を知ってからずっと気になっていた。間借り営業という事情もあってか営業時間が短く、なかなか訪れることができずにいたので、今回候補に挙がって嬉しかった。韓国料理をいただいてからSEVENTEENのDVD鑑賞会だなんて、素晴らしい流れではないか。

 

地下にあるお店だが、入り口に立て看板が出ていたのですぐに分かった。階段を下って扉を開けるとまず目に入るのが、レジとその奥に続くカウンター席だ。最初にここで注文と支払いを済ませる。迷いに迷って、ピビンパにした。

 

間借りしているのはクラフトビール専門店で、長方形のこぢんまりとした店内は、壁と床の灰色に、カウンターとテーブルの木目が映える、お洒落な雰囲気だ。カウンター席の頭上にはグラスが吊るされ、キッチンの奥には大きなビールサーバーが見える。振り向くと小さめのテーブル席が6つほどあり、座面の高いバーチェアが置かれている。わたしたちは壁側の、いちばん奥の席に座った。反対側の壁一面には冷蔵のショーケースが設置され、ずらりと並ぶ色とりどりの缶が賑やかだ。全てクラフトビールなのだろう。

 

置き場のない足をぶらぶらさせながらお喋りしていると、しばらくしてカウンターからお待たせしましたと声をかけられた。出来上がったお料理を取りに行く。白い器に5種のナムルが美しく盛られ、中心には大豆ミートのポックム(炒め物)とコチュジャン。キムチとコンジャバン(黒豆煮)の小皿も添えられている。これが全て植物性なのだと思うと感激してしまう。相互さんのサンパも美味しそうだった。見た目はロールキャベツのようだが、辛味噌とポックムとごはんを葉野菜で包んだ料理だそうだ。

 

席に着き、写真を撮り終えたら早速いただく。たっぷりの野菜ナムルは優しいお味。特に甘い味つけの染みた、ジューシーな椎茸が美味しかった。コチュジャンのパンチのある甘辛さもちょうどいい。大きめの木のスプーンでごはんと混ぜながら、ひと口ごとにちょっとずつ違う味わいを楽しむ。ピビンパは全体を均等に混ぜてしまうのではなく、ある程度偏りを残した状態でいただくのがお気に入りだ。

思ったよりボリュームがあったためか、朝からほとんど食べていなかったのに、ピビンパだけで満腹になってしまった。コンジャバンは1つだけ味見することができたが、残りとキムチは相互さんが食べてくれた。一緒に食べようと言ってくれた、相互さんがセットで注文したチヂミも食べられず心残りだ。また訪れなければ。

 


お腹が満たされたところで、Googleマップを頼りにカラオケを目指して歩く。しばらく行くと、「オーサワジャパン」と書かれた看板が目に留まった。おもに食料品を販売しているスーパーのようだ。こんなところにオーサワのお店があるなんて知らなかった。19時までの営業だったので、先にカラオケに行って、帰りに寄ることにした。

 

それにしても、ヤッチェゴからそこまで離れていないはずなのに、カラオケが見当たらない。どうやら通り過ぎてしまったらしい。来た道を戻ると、ドラッグストアの2階にカラオケがあるのを発見した。オーサワのスーパーに出会うために見逃したのかもしれない。

 


残念ながらDVDの再生機器はすべて貸出中だったが、機種は選ぶことができた。もともと最初はDAMに入っているコンサート映像を鑑賞しようという話だったので、それだけでも充分だ。

せっかく持ってきたので、ソファの空いたスペースにカエルのぬいぐるみバッグを座らせ、新旧CARAT棒をそれぞれSEVENTEENの色であるローズクォーツとセレニティに点灯して並べ、タオルを飾った。なんとなく、鑑賞会らしい雰囲気が出た気がする。

 

とりあえず片っ端からSEVENTEENのコンサート映像を予約した。時々間にMVも入れたが、「今 -明日 世界が終わっても-」だけは除外だ。わたしはあのMVを今も許せていない(自然災害の辛い記憶を思い起こす可能性があるため、再生する際はお気をつけください)。

 

コンサート会場でもあまり声を出さないわたしは、映像と一緒に口ずさんだり、好きなところを話したりしながら観た。ひととおりSEVENTEENの鑑賞を終えた後は、各々が観たいと思った映像を再生していく。TOMORROW X TOGETHER、Stray Kids、TWICE、ENHYPEN、LE SSERAFIM、NCT127、TREASURE、BLACKPINK、KARA、少女時代。コンサート映像は、演出や衣装、楽曲にグループごとの色がはっきりと表れておもしろい。特にNCT 127のスタイリッシュな演出と、TREASUREの迫力のあるパフォーマンスが印象的だった。友だちと鑑賞会をすると、新たな出会いがあって楽しい。

 


3時間の鑑賞会を終えて、オーサワのスーパーへ。店内にはプラントベースの商品が数多く並ぶ。気になって手にとったものがほとんどプラントベースだなんて、幸せすぎる空間だ。気になるものはたくさんあったが、冷蔵品や冷凍食品は持ち歩けない。隅から隅まで棚を眺め、しばらく切らしていたニュートリショナルイーストと、大きな中華まんのような見た目の、くるみ味噌まんじゅうを購入した。これは母妹と分けて食べよう。


外に出ると、陽が陰ってだいぶ涼しくなっていた。ここでお茶ができたらいいねと話していた、代々木上原のカフェまで歩けそうだ。相互さんがGoogleマップを見ながら案内してくれたのでついていく。池尻大橋から代々木上原は初めて歩くのでワクワクだ。

 

相互さんと会ってからお喋りが止まらないわたしは、街歩きを楽しみながらも、道中喋り続けた。お互いの近況、気候変動や資本主義のこと、ヴィーガニズム、さまざまな格差、自己責任論、その他書ききれない多くのこと。それらは全てわたしの生活と密接な関わりを持ち、ありとあらゆる場面で切り離せないのに、普段はなるべく口にしないように気をつけている話題だ。

前提となる価値観が共有されない場での所謂「政治的」な発言──政治的でない発言など存在しないが──は、じぶんが傷つく可能性が大いにあるだけでなく、相手を傷つけてしまう恐れもある。トーンポリシングに繋がりかねない、危うい考え方なのは承知だ。そうやって議論を避けることができるのもまた特権だからだ。いつでも半径1mのことしか考えられないじぶんに時々嫌気がさす。それでも、相手の価値観やキャパシティを全く掴めない状況での会話では、触れるのを躊躇う。傷つきたくないし、当然傷つけたくもない。そして、敏感にならないこと、深く考えないことがある種の生存戦略であることも痛いほどわかる。シャットアウトしないとやっていられない事情だってあるだろう。

わたしにとって、社会に対する疑問や怒りを安心して話せる相手は貴重なのだ。


Googleマップの示すとおりに歩いていくと、交通量の多い大通りは遠ざかり、やがて住宅地になる。レトロな個人商店やお洒落なカフェが点在する商店街に、目的のお店はあった。ヴィーガン対応でグルテンフリーのタルト専門店、SO TARTE。白を基調としたシンプルな内装は、流行りの無機質カフェに該当するのだろうか。色を抑えた店内で、真ん中のショーケースに並ぶフルーツタルトの彩りが際立っている。ここでもまた、どれを選んでも動物性原料は使われていない。いつも外食の際にそれほど迷うことはないのに、ヤッチェゴでもSO TARTEでも選ぶのに時間がかかったのは、消去法ではなく端から端までどれでも選べるというのもあるかもしれない。タルトの他に、ずっと気になっているアサイーのフルーツボウルもあって悩んだが、結局大きなアメリカンチェリーの載ったタルトと、アイスティを注文した。

 

小さめの丸いタルト生地に、5つのアメリカンチェリーとホイップがバランスよく配置され、金箔まで飾られた愛らしいタルトは、見た目だけでなくお味も大満足であった。瑞々しくて甘いチェリーと、さっぱりした硬めの豆乳ホイップはもちろん、塩気のあるサクサクのタルト生地が、熱々の紅茶に合うこと間違いなしの美味しさなのだ。しかし今日は40分ほど歩いてきたので、さすがに温かい飲み物の気分ではない。近ければ、テイクアウトして家で食べようと思えるのだけれど。豆乳ホイップもタルト生地もまったく重たくなく、最近食が細いのにぺろりと食べてしまった。プラントベースのものを食べるたびに、植物性の食材だけでこんなに美味しいのだから、わざわざ動物性の食材を使うことないのにと思ってしまう。好みもあるとは思うが。

 

タルトを味わいながらまたしばらくお喋りをし、そろそろ帰ろうかとお店を出た。外は暗くなり始め、全体に広がる黒い雲の間から淡い夕焼けが覗いていた。わたしが渋谷から帰ろうかなと言うと、相互さんも途中まで一緒の電車で帰ると言ってくれた。渋谷駅に向かう間も、やはりずっと喋っていた。

 

途中駅で相互さんと別れ、電車に揺られながら楽しかった1日の余韻に浸る。わたしにはこういう時間が定期的に必要だ。普段考えていることを安心して話せる場が。そしてじぶんの言動を振り返り、相手にとっても安心な場であっただろうかと考える。文章は投稿する前に何度でも読み直し修正できるが、会話はそうはいかない。後からあの表現はよくなかったと反省することも多々ある。以前SNSにも投稿したように、一生アップデートを繰り返していくほかないわけだが、わたしのアップデートに他者が付き合う義理はない。安全でないと感じたら遠慮なく、距離を置いたり、縁を切ったりして身を守ってほしい。わたしもセーフティな場を構成する一員になれるように、いっそう努力しようと思う。

日記 2

 

2024年7月28日(日)

 

昨日ブライトンの公開練習を観に行った母と妹が、お土産に銀座ウエストの焼き菓子を買ってきてくれた。小さな紙袋を開けると、個包装になった焼き菓子が5つ入っている。サブレスト、塩クッキー、ウォールナッツ、アーモンドタルト、ヴィクトリア。今日は3人とも予定がないので、午後にお茶をすることになった。

 

お茶を淹れるのはわたしの役目だ。今家にある茶葉のほとんどはわたしが買ったものだが、そうでなくても、わたしがいるときに母と妹がお茶を淹れることはなかった。3人のなかでいちばん、わたしが上手なのだ。

 

今日のお茶に選んだのは、一昨年の秋に大阪で買った、北浜レトロの大大阪クラシック。缶を開けると、茶葉の入った銀色の袋が、小さく折り畳まれて入っていた。思ったより残りが少ない。中途半端に余らせたくはないが、使い切れるだろうか。いつもの1回分は8gほど。量りに載せた小皿に、袋を逆さまにしてすべて出してみると、ぴったり10gだった。このくらいなら、渋くならずに淹れられそうだ。あらかじめ温めておいたポットに茶葉を入れると、熱せられて、にわかに強く香り立つ。ポットから立ち上る、香ばしい湯気に思わずうっとりしてしまう。そこへ沸騰したばかりのお湯を、茶葉の量に合わせていつもより多めに注ぐ。素早く蓋をし、ティージー代わりのタオルを巻いて、4分蒸らす。タイマーが鳴ったら、温めておいた別のポットに、ティーストレーナーで漉しながら移し替える。お茶は茶葉を抜いた瞬間から味が落ち始めると言われるが、このくらいの量はあっという間になくなってしまうので、あまり気にならない。それよりも好きな濃さのまま、最後まで落ち着いて楽しみたいので、わたしはずっとこの方法を採用している。

 

カップとお皿は焼き菓子の素朴な雰囲気に合わせて、ウェッジウッドワイルドストロベリー。母がずっと欲しいと思っていた柄だそうで、4年ほど前にお迎えした。母はいつも「せっかくだからちゃんと正しい位置に置いてね」と言う。カップとソーサーを「正しい位置」に合わせたときの、カップの内側とソーサーの模様の重なり具合が、母のこだわりでありお気に入りだ。

 

家には他に、わたしたちが生まれる前に香港で買ったという、コロネードブラックのカップとお皿があったが、今はちょうどいい収納場所がないので、丁寧に梱包されて引越しの段ボールに眠ったままになっていた。

 

お茶の準備が整い、めいめいが席に着くと、母が焼き菓子を分け始めた。食べものを3つに分けるのはいつでも、最も経験豊富な母の仕事だ。

 

かつてはわたしと妹の厳しい監視の下、やれあっちが大きいだの、こっちのほうがトッピングが多いだの、やいのやいの言われながらの大仕事だった。あるときなど、細い長方形のケーキを切り分ける際に妹が定規を持ってきたときは、さすがのわたしもそこまでやるかと思ってしまった。そんなわたしたちも大きくなり、少しは遠慮と譲り合いを覚えた。どうしても食べたいものは絶対に譲らない頑固さは健在だが、そうでなければ、どうぞと出されたうちの、いちばん大きいものを避けてみるくらいの余裕はある。それに、わたしは胃腸が弱くなってあまり量を食べられない日が増えたので、みずから進んで小さいものを選ぶこともあった。そういうとき母はいつも、ちょっと物足りないような顔をするのだ。

 

わたしと妹が見守るなか、母はまず、8枚入りのサブレストを開けて、それぞれのお皿に2枚ずつ配った。これはシンプルな、薄い板状のクッキーだ。続いて4個入りの、サイコロのような、ひと口サイズの塩クッキーを1個ずつ。すると余りがちょうど3つになるので、話し合い、わたしと妹がサブレストをもう1枚ずつ、母が塩クッキーを1個多く食べることになった。その他の焼き菓子はすべて1つずつしかなかったので、母が慎重に3つに割った。

 

3人で分けるとひと口ずつしか食べられないので、以前は物足りなく感じることが多かったが、今はこれがちょうどいい。苦しくならずにいろいろな種類を味わえて、むしろお得感がある。事務職になって活動量が激減したためか、胃もだいぶ小さくなったようだ。

 

焼き菓子はどれもシンプルでさっぱりしていて、わたし好みだった。塩クッキーだけはその名のとおり塩味が強かったが、それ以外は優しい味わい。「ドライケーキ」と呼ぶだけあって、サクサクと軽い食感は、お茶請けにうってつけである。

 

ひと口食べるごとにカップ1杯の紅茶が必要だった。紅茶はすぐになくなった。しかし、時刻は16時をとうに過ぎている。お茶好きとしては致命的なことに、カフェインに弱いわたしは、ふだんは睡眠に支障をきたさないように13時以降のカフェイン摂取を控えているのだった。母と妹も紅茶が足りず、わたしは飲まなくていいから淹れてくれと言い出した。さすがにそんな苦行は耐えられない。なにかなかったか必死に考える。最近、カフェインレスの紅茶を少し買った覚えはあるが、すべて職場に置いてきてしまった。茶葉の入った箱を漁っていると、乾燥のローズマリーが出てきた。以前友だちがくれた、上等なものだ。これにしよう。

 

消去法で選ばれたローズマリーだったが、これが焼き菓子によく合った。爽やかでキリッとした香りがアクセントになり、また違った表情を引き出すのだ。思いがけない発見に頬が緩む。ハーブティとのペアリングも、奥が深そうだ。

 


2024年7月29日(月)

 

夕方に飲んだ紅茶のせいで眠りが浅かったのか、4時前に目が覚めた。

目を開けた瞬間に、たった今見ていた夢の内容をほとんど忘れてしまった。場面がころころ変わり、筋書きのよくわからない夢だったが、出てきた自室がかつての実家のものだったことだけははっきりとわかる。

 

実家を出てひとり暮らしを始めてからも、夢のなかでは相変わらず、自宅といえば生まれ育った実家のマンションだった。住んでどのくらい経てば、このワンルームが登場するのだろうと興味深く思っていたが、ついに3年間、いちども夢に見ることはなかった。

 

冬に入居したばかりのこの家は、いつか夢に出てくることがあるのだろうか。天井のシャンデリアを眺めながらぼんやり考える。いやいや、そんなことより今は眠らなければ。目を瞑ってみるものの、眠気が来ない。そのうちにカーテンが明るくなり、やがて部屋全体が朝の光に包まれた。アラームが鳴った。二度寝もできずに起床時間を迎えるなんて。やはり夕方のカフェインはよくない。

 


山が見える朝だった。山が見えるのは気温の低い時期だけだと思っていたので、いつもの通勤電車でふと視線を上げたとき、地平線に青い山々が連なっているのを認めて驚いてしまった。引越してきたばかりの、あの冬の朝ほどの鮮明さはないが、なかなかよい眺めである。夏には山など見えないとはなから決めこんで、毎朝この景色を見逃していたのだとしたら残念なことだ。

 

9時。始業を告げるチャイムの後、フロアにラジオ体操が流れ始める。派遣会社の担当者と一緒に受けた面接で、「建設業らしいことといえば、毎朝ラジオ体操をするの、おもしろいでしょ」と聞いたときから、いい習慣だなと思っている。席を立ち、背伸びの運動をしながら窓の外にいつもの船を探す。いるいる。側面の紺と赤が目を惹く、あの大きな船は貨物船だろうか。毎朝なんとなく気になって、停泊しているかどうか確認してしまうのだ。姿を見られたことに満足していると、その奥のビルとビルの間に、青い影を発見した。そんなまさか。じっと目を凝らす。やっぱり間違いない。山だ。オフィスから山が見える!

 

ラジオ体操が終わって席に着くなり、Googleマップを開いて方角を調べる。相模原あたりだろうか。とにかく、オフィスから山が見えるだなんて知らなかった。これも今まで気がつかずに見逃していたのだろうか。

その後も気になって度々様子を見ていたが、1時間後にはほとんど霞んでしまい、昼には完全に見えなくなっていた。

 


2024年7月30日(火)

 

連日「災害級の暑さ」「地球沸騰化」などと騒がれ、熱中症への警戒が呼びかけられているが、畜産や資本主義が環境に与える影響については話題にならない。コンクリートだらけの東京で、再開発により樹木が次々と伐採されていることは問題にならない。この夏さえどうにかやり過ごせば、次の夏はもう少しマシになるだろうとは、わたしには到底考えられないのだけれど。熱中症への注意喚起や、暑さ対策のアイディアをシェアすることも必要ではあるが、それだけでは片手落ちで、場当たり的な対策ではなく根本的な改善に向けて、早急に動かなければならないところまできている。今や気候変動は地球上の動植物すべての命に関わる問題であり、最優先で取り組むべき課題のひとつであると思う。

 

「優しくなりたい」という記事を書いてから4年が経つ。記事にもあるとおり、わたしがヴィーガニズムに関心を持ったのは種差別への問題意識からだった。そして気候変動や、近年相次いで発見される恐ろしい感染症もまた、畜産と深く関わりがあり、より弱い立場に皺寄せのいく問題だ。ますます菜食の重要性を感じる一方で、その難しさも身に沁みてよくわかる。最初は完璧にやらなければという思いが強すぎて、実家で出されたものや社員食堂のメニューがほとんど口にできなくなり、周囲に心配されるほど痩せた。もちろん、厳格な菜食主義者が理想ではあるが、現実問題、選択肢がなさすぎる。また、食事は単に生きるための栄養補給というだけではなく、コミュニケーションの場であったり、娯楽であったりする。その側面を無視して、今までの生活を180度方向転換することは、わたしにはできなかった。それでも、じゃあいいやと放り投げるのではなく、できるかぎり動物性原料の消費を減らす生活をしようと心がけて今に至る。特にひとり暮らしの3年間、頂き物を除いて自宅には動物性食材を持ち込まないと決め、守ることができたのは自信になった。けれどもそれも、さまざまな条件が重なって実践できたことで、ひとり暮らしなら誰でもやれるとは思わない。「できるかぎり」の基準は他者が決められることではない。

 

わたしが動物性原料の消費を減らす生活を心がけるうえで、大切にしているのは持続可能であることだ。完璧主義に囚われすぎず、長く続けられる塩梅を探ること。厳格に実践している方からすれば、怠惰にしか見えないかもしれない。正しくもないかもしれない。それでも、この4年間の積み重ねは無意味ではないと思っている。だからもしも、この暑さがしんどいと感じている方がいたら、今日の献立を考えるとき、あるいはレストランでメニュー表を眺めているとき、少しだけ意識してみることを提案したい。

 

gn8prj.hatenadiary.jp

 

【おすすめの本】

『荷を引く獣たち:動物の解放と障害者の解放』、スナウラ・テイラー著、洛北出版、ISBN9784903127309 | 洛北出版

 

 

2024年7月31日(水)

 

自室にエアコンがないので、リビングにモニターとパソコンを持ちこんで仕事をしていると、11時ごろに妹が起きてきた。テーブルの向かいに座り、寝ぼけ眼でパソコンを立ち上げる。夕方からの職業訓練校の授業に向けて、web制作の課題を進めるらしい。いつもの食卓がオフィスになったみたいで、ちょっとわくわくしてしまった。「おはようございます」と声をかけると、「あ、おはようございます、今日は時差出勤でこの時間なんです」と妹。小さい頃からそうだけれど、学校でも仕事でも、ごっこ遊びになると途端に魅力的になるのはなぜだろうか。

 

実際日々の業務も、大掛かりなごっこ遊びに思えることがある。気まぐれに始めて、飽きたらいつでもやめられる普通の遊びとは違い、資本主義に要請されるがまま、ただひたすらに「成長」を追い求めなければならないこの仕事ごっこは、まったく魅力的ではない。前職でも、今の職場でも、突然全てが滑稽に感じられる瞬間があり、そういうときは決まって、資本主義の歯車となって摩耗していく人生について考え、落ち込んでしまう。

 

少なくともわたしが携わってきた仕事のほとんどは、世の中に必要不可欠なものではなく、資本主義で利益を生むためだけにわざわざ創り出された仕事だ。前職では主に化粧品を販売していたが、大量生産大量消費の最前線に身を置いているような気がして、心身ともに疲弊していた。今の仕事は直接販売する立場ではないので、前職ほど疲れることはないが、高価な割に長持ちしないものを売っているのだなと思う。それが敢えてなのか、技術的な問題なのかはわからないけれど。

 

前職の理念は、雑貨の力でより豊かで楽しく快適な生活を創ること。たしかに共感できる部分もある。瞼に載せるキラキラのラメ、爪を彩る色とりどりのポリッシュ、そういった「不要不急」なものに価値がないと言いたいわけではない。ただ、なにもかもが過剰なのだ。過剰に生産し、過剰に消費を煽り、過剰に捨てている。その営みに加担していることが辛い。本当に欲しいと思ったものなのか、欲しいと思わされただけなのか。問題解決のための発明なのか、売るために発明された問題なのか。今じぶんがお腹が空いているのかさえ、もはやわからない。そんなビジネスが、生活に豊かさをもたらすだろうか。

 

さも重要なことのように語られる数字、複雑なルール、難しい顔で議論される課題、すべて本当は取るに足らないものだ。過剰に需要を創り出し、物やサービスを買わせ、そうやって生み出された会社の利益はわたしたちを豊かにはしない。それでも大人がたくさん集まって、ああでもないこうでもないと日々真剣に話し合っている様子が、わたしの目には奇妙に映る。いや、おそらくわたしだけではない。どんなにくだらなく思えても、お金を得るために、生きるために、ここではただ割り切って与えられた役割を演じるほかないのだから。

 

働くことで得るものがないわけではない。特に、さまざまなバックグラウンドを持つ方々との交流は、わたしに多くの気づきを与える。前職でも今の職場でも、業務自体にはあまり価値を見出せずにいるものの、人生を豊かにする出会いがあるのは事実だ。そしていつでも、一緒に働く方々の力になること、少しでも楽に働ける雰囲気を作ること、それだけがわたしのモチベーションだ。

 

労働は社会科見学だと思うことにしている。社会を知るための、アプローチのひとつとしての労働。それが正しい姿勢なのかはわからないが、観察し、考え、抵抗の方法を模索する機会として、前向きに捉えたい。そうでもなければ、フルタイム労働なんてとても耐えられる気がしない。

 

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2024年8月1日(木)

 

外に出ると、室内よりもずっと涼しかった。地面が濡れているので、夜の間に雨が降ったのかもしれない。

綿を割いてふわふわと広げたような、触れたくなる質感の雲。その間から覗く、爽やかな青の、淡いグラデーションの空。乳白色を一滴溶いたような空気。頭上からはスズメのさえずり、足元からは虫の声。すべてが優しい朝だ。

 

朝に弱いわたしは、強制力のある予定がないかぎり、朝の美しさに出会うことはない。どんなに早くベッドに入っても、この時間に起きるのは辛いものだが、朝日が差し込む室内や、目覚めたばかりの街の美しさに触れるたびに、この生活も悪くないと思える。

 

清々しい朝の街にうきうきして歩いていたのも束の間、駅に差し掛かる頃に本格的に照り始めた太陽が、まだ秋が遠いことを思い出させる。思わず俯くと、花壇の芝生に、雫がキラキラと輝いていた。単純なわたしはそれだけでまた、幸せな気分になれてしまうのだ。

 


2024年8月2日(金)

 

お米が残りわずかであることが発覚し、在宅勤務後のお散歩はスーパーへの買い出しに決定した。いつもどおり定時ぴったりに退勤打刻し、パソコンとモニターを片づけて外へ出る。まだ陽があるのに、珍しくホッとするような涼しさだ。この季節の18時は明るい。透明感のある青い空に、ピンク色の雲が浮かんでいる。影の部分は紫だ。その色合いが可愛くて、思わず写真に収めた。ひとりで歩いていると、気になったものにいちいち足を止め、じっくり眺めたり、写真を撮ったりできるのが楽しい。

 

写真を撮っていると、通りかかったひとがカメラを向けている先を目で追うことがよくある。なにを撮っているのか気になるのだろう。わたしはなんてことない街中で立ち止まることが多いので、ちょっと怪訝そうな顔をされる。電柱や電線、鉄塔、建物、空、なにもかもがおもしろい。見慣れた景色だからこそ、季節や時間帯、天気で変わる表情が新鮮に映ることもある。モネもこんな気持ちで、何枚ものキャンバスを用意したのだろうか。

 

スーパーまではすぐだった。買い物をして出てくる頃には、もっと暗くなっているだろう。名残惜しくて、しばらく淡いピンクのフィルターがかかった空を眺めた。

 

頼まれた日用品と米を買い、外に出ると見事な夕焼けだった。また写真に収めたくなってしまい、5kgの米を左腕に抱え、日用品の入ったエコバッグは右肩に掛けて、空いた右手でスマホを取り出す。何枚か撮ってみたが、あまりよくない。カメラ性能が向上しても、夕焼けの美しさを捉えることは難しいようだ。諦めて、コシヒカリと一緒に空を眺めながら帰った。

 

その夜はお椀を持つ左手が上がらず、食べるのに苦労した。

 

 

2024年8月3日(土)

 

母の勧めで足病医へ。以前登山靴を購入したお店で、足病医である店員さんに扁平足気味だと言われてから、足の様子が少し気になってはいた。そのときついでに見てもらった母も同じく扁平足を指摘され、ずっと気にしていたようだ。近所の足病医を見つけて診てもらったところ、よかったからあなたも診てもらいなさいと言う。扁平足の他にも気になる点がいくつかあったので、この機会に訊いてみることにした。

 

診察室に案内され、まずは爪切り。予約した際に切らないで来てくださいと言われていたので、結構伸びている。ひとに爪を切ってもらうなんて何年ぶりだろう。2種類の爪切りを使い分け、鮮やかな手つきでサクサクと切っていく。その後は時間をかけて丁寧にやすりで整え、最後に保湿。仕上がりの美しさに思わず惚れ惚れしてしまった。

 

次に足のマッサージ。気持ちよくて寝てしまいそうだった。自宅でできるマッサージと運動、それから親指と小指の正しい位置を保つためのテーピングも教わった。外反母趾になりやすい足ではあるものの、今のところ大きなトラブルは見られず、日々の予防を意識することでよりよい状態を目指しましょうとのことだった。

 

最後にいつも履いている靴を見てもらった。これがいちばんドキドキした。なにしろ5年以上履いているお気に入りの靴で、ボロボロになっても代わりを見つけることができず、つい最近2代目をプレゼントしてもらったばかりなのだ。合っていないと言われたらどうしよう。両足のサイズを測り、それから靴のサイズを確認する。幸いサイズ選びは間違っていないようだ。左足の甲のフィット感が足りないので、薄いクッションを入れて調整してもらった。

 

足に関する不安が解消され、晴れ晴れとした気分で帰路についた。わたしは片道1時間は徒歩圏内だと認識しているくらい、歩くことが好きだ。そして、始めたばかりの登山もゆるゆると続けていきたいと思っている。そう考えると、足のコンディションはかなり重要だ。三日坊主にならずに、教わったケアをがんばろうと心に誓った。

日記 1

 

日記をつけることにした、長い長い前置きはこちら。

 

gn8prj.hatenadiary.jp

 

前置きにも書いたとおり、信じられないくらい長くなってしまった。

 

2024年7月21日(日)

 

食卓にのぼるお米の銘柄が切り替わった。先日生協から、欠品商品の代替として届いたゆめぴりか。食感も風味も餅米に似ている。混ぜごはんには合いそうだけれど、毎日食べるにはちょっと重たい。母妹と暮らすようになってからはお目にかかれないが、わたしはササニシキのようなあっさりしたお米が好き。硬めに炊いたものならなおよし。

 

 

2024年7月22日(月)

 

陽が落ちても気温が下がる気配はなく、オフィスで凍えた体を解凍するには充分すぎる蒸し暑さである。改札を出て見上げた空に、黒い雲がもやもやと広がるのを見て予想したとおり、夜ごはんを食べ終えたあたりで嵐になった。窓ガラスを雨が叩き、時折カーテンを縁どるように鋭いフラッシュが焚かれ、数秒あって雷鳴が轟く。いつかの自由研究で、積乱雲と雷について模造紙にまとめたことを思い出す。天と地のあいだで起こる放電。マジックで描いた図解が脳裏に浮かぶ。どんなに理屈を説明されたって、やっぱり不思議だ。夏は好きではないが、昔から夕立の力強さには惹かれるものがある。

雷雨は長くは続かず、期待に反して日中の暑さを吹き飛ばしてはくれなかった。

 

 

2024年7月23日(火)

 

出社したのに新しく学ぶことがないと、ちょっと損した気分になる。どんなに些細なことでも──例えば隣に座る先輩が取引先からの電話をとるなど──何かしら得るものがあった日は、苦手な早起きも暑いなかでの通勤も、無駄ではなかったと思えて嬉しい。先週あたりから出社日に合わせるかのように未経験の業務がまわってきており、タイミングのよさに満足している。


現金が必要になり、帰りがけにATMに立ち寄った。先日妹が、仕事以外で最初に新札を手にしたひとが負けだと言い出したせいで、緊張感がある。ゲームの参加者はむろん、母と妹とわたしだ。新札を入手した際は正直に申し出るようにと言われているので、おそらくふたりともまだなのだろう。出てきたお札を数えながら絵柄を確かめる。どれも見慣れた旧札。セーフ。それにしても、お札に載せる人選なんてどのみち最悪にしかならないのだから、顔なんか刷るのはやめて風景や植物にすればいいのに。

 

 

2024年7月24日(水)

 

在宅勤務の日。昼休憩をしていると、それまで晴れていたのが急に暗くなり、風がびゅうびゅう唸り声をあげた。遠くに雷鳴を聞くと同時に、エアコンの設置業者から15分後に伺いますと連絡があった。予定より早い到着は嬉しいものの、どんどん強くなる風の音に申し訳ない気持ちになる。「天気が荒れそうなので気をつけていらしてください」と伝えて電話を切った。程なくして降りはじめた雨はどんどん強くなり、一時は家が丸ごと洗車機に入ったかと思われるほどだった。

 

エアコンは設置できなかった。分電盤からエアコン専用に引いたコンセントが必要で、電気工事をしないといけないそうだ。今日から快適な自室で過ごせると期待していたばかりに、あまりにもショックで午後の仕事が手につかなかった。

 


夕食のまえに、母と散歩に出かけた。昼の嵐で落ちたと思われる街路樹の枝が、歩道に散乱していた。交通量の多い道路から脇道に入ると、静かな住宅街が広がる。新旧さまざまの戸建てと、間に挟まるように点在する小さなアパートが、お行儀よく並んでいる。人気のない道を歩いていくと、不意に四角い森があらわれた。住宅と駐車場に挟まれ、四角形に区切られたその土地は、鬱蒼と茂る木々で奥まで見通すことができない。なかには幹の太い、古そうな木もあって、空に向かってのびのびと枝を広げ、たっぷりと葉を茂らせていた。「ほら、これ」と、母が指差した足元に視線を移すと、今にも草木に飲み込まれそうな乗用車があった。車に明るくないので詳しいことはわからないが、レトロな雰囲気の車体だ。暗くて色までは識別できない。というより、なんだかゾワゾワしてまともに直視することができなかった。時が止まったままの車を、わたしとおなじ時間を生きる植物たちがじわじわ侵食している。朽ちていく人工物の異質さが際立って、どことなく不気味に感じられた。

 

 

2024年7月25日(木)

 

この時期の出社は服装に悩む。春、秋、冬はいつもシャツにトラウザーズのお決まりのスタイルなので困らないが、夏だけは型がない。長袖以外のトップスはブラウスが多く、「女性らしい」雰囲気に寄りがちなため、着るのを躊躇する。1枚だけ持っているポロシャツも、洗濯を溜めたせいで今日は諦めるしかない。結局、青いボーダーのカットソーに、麻のトラウザーズ、赤い靴下を合わせた。それだけでは少し物足りないように思えて、度なしの眼鏡を加えてみる。うん、いい感じ。

 

2月に8年間勤めた接客の仕事を辞め、事務職に就いた。前職では制服があったので、通勤時の服装はTシャツにデニムにスニーカーと、ラフで適当なものだった。ところが今の職場では「オフィスカジュアル」なるものが求められる。幸運なことに、わたしの好きなファッションはたまたま「オフィスカジュアル」と相性がよく、あまり考えることなくお気に入りの服を着て行くだけでよかった。それでもやはり、「オフィスカジュアル」への抵抗感は消えない。

 

会社は「オフィスカジュアル」を推奨していきたいようだが、外部から服装がラフすぎるひとがいると苦情があったため、ガイドラインを作成すると言い出した。心底バカらしいと思う。曖昧な基準を設けるくらいなら、いっそ会社支給の制服にすればよろしい。購入費を負担してもらえるわけでもないのに、服装についてとやかく指定される謂れはない。

聞くところによると、派手な髪色も注意を受けるらしい。社外の者に会う機会すらほとんどないというのに。

 

前職では社員の意見を反映して服装規定の性差がなくなり、髪色は自由になった。それまでは髪の長さやネイルやアクセサリー着用等のルールが、男女で異なっていたのである。入社時から疑問に感じていたので、嬉しい変化だ。髪色が自由になったのは退職した直後のこと。辞めた後も頻繁に顔を出しているが、売り場を歩くスタッフの頭がどんどんカラフルになっていく。思い思いに染めた髪色が素敵だ。

 

思い返せば中学時代の「風紀」指導にも本当にうんざりしていた。他者の頭髪や服装や「身だしなみ」なるものに口を出す権利があると思い込むなんて、勘違いもいいところだ。小中学生の頃は先生に褒められる「優等生」だったが、内心ではくだらない規則や習慣に呆れていたし、今のわたしだったら絶対に耐えられないと思う。よくもまあ、9年間も通ったものだ。義務教育の悪習がその後の生き方や社会に与える影響は、結構大きいと思う。個を尊重しない、バウンダリーのない指導、規則重視、多数決……。そういった全体主義への反発が、今のわたしをつくったのかもしれないけれどね。

 

 

2024年7月26日(金)

 

友だちの誕生日すら毎年カレンダーで確認するくらい日付を覚えるのが苦手なわたしは、いつもTLに流れてくる投稿で、またこの日が来たのか、と気づく。日付は覚えられなくても、ことあるごとに津久井やまゆり園の事件を思い出す。8年経って、加害者の思想に、はっきりとNoを突きつけられる世の中になっただろうか?

 

ある特定の集団が、社会にとって「お荷物」である、「不要」であるといった議論は、今や至るところで繰り広げられている。国家権力の不正には寛容なのに、弱い立場に対する世間の眼差しは冷ややかで厳しい。そういった論調に怒りを覚える一方で、支持する者の多くもまた、この息苦しい社会の被害者なのだ、というやりきれない気持ちもある。

 

ひとは社会のために生まれるのではない。みなが快適に生きられるように、社会のほうが変わるべきなのだ。搾取する側に都合のいい構造は、壊さなければならない。搾取されている者同士で奪い合っている暇などない。

 

当然のことながら死刑には反対だ。死刑執行は、「社会にとって不要な者は殺していい」という加害者の思想を肯定することに他ならない。優生思想を許さない。

 


在宅勤務の後に図書館に行くのが日課になりつつある。図書館は住宅街の外れにあって、住宅街を歩くのが大好きなわたしは、いつも通ったことがない道を選び、曲がったことがない角で曲がってみる。このあたりの住宅街はそこまで複雑ではなく、行き止まりもないので、なんとなく図書館の方向を目指して歩けば、ちゃんとたどり着くことができるのだ。

 

図書館は古い、こぢんまりとした2階建ての建物で、公民館のような雰囲気がある。幼少期に慣れ親しんだ、かつての実家のそばの図書館は、大きな3階建ての、立派な煉瓦造りの中央図書館で、建物の前には木がたくさん植えられた庭まであった。蔵書が置かれているのはおもに1階だけだったが、とても広かったので、本棚の品揃えは充実していた。それに慣れていたせいで、実家を出てからというもの、近所の図書館に少々物足りなさを感じてしまう。

とは言え、ふらりと気軽に行ける距離にあるのはありがたい。それに、在宅勤務の後は2時間も滞在することができないので、小さな図書館と言えども、いつも時間切れになってしまうのだった。

 

カウンターで期限がきた本を返却。あちこちで「おもしろいよ!」と話した『森の生活』は、貸出期間を延長したにも関わらず、ついに読み終えることができなかった。予約が入るような本でもなさそうなので、また借りてゆっくり読み進めようと思う。

 

まずは母から頼まれた本を探して確保する。それが済むと、気の赴くままぶらぶら歩き、気になる背表紙は手にとってみる。かつての実家のそばの図書館では、10冊しか借りることができず、選別に苦労したものだ。今ではその3倍も借りることができるので、上限を気にする必要はない。

 

パッヘルベルのカノンが流れ始めた。そろそろ閉館だ。借りる本をまとめながら、このどこか懐かしい感覚はなんだろう?と考えていた。

 

帰り道に思い出した。中学の掃除当番だ。図書室掃除の週だけは、掃除の時間を楽しみにしていた。スピーカーから流れるパッヘルベルのカノンを聞きながら、掃除もそこそこに、棚の影に隠れて本を読んでいたのだった。曲が終わると、掃除の時間もおしまい。本を棚に戻し、掃除用具を片づける。中学の図書室は、小学校と違って対象年齢が絞られるので、ティーンから大人向けの蔵書が充実しており、小規模ながらなかなかおもしろかった。もう足を踏み入れることはないだろうが、思い出深い本棚のひとつだ。

 

 

2024年7月27日(土)

 

昨夜ふと思い立って、ヘアカットの予約をした。前日の夜にも関わらず、珍しく空きがあったのだ。かつての実家の最寄駅の、小さな駅ビルにある美容室。ひとり暮らしをしていたときは、月一で実家に泊まり、髪を切りに行っていた。別の街で母妹と暮らしている今も、3つの路線を乗り継いで、わざわざ通い続けている。お世話になって7年目になる美容師さんのことが大好きで、まったく変える気にならない。ショートヘアを維持するには、月一で切らなければならないので、美容師さんとの相性は重要だ。

 

いつもはヘアカット以外の予定を特に入れないので、Tシャツに楽なズボンが多いのだが、今日は立ち寄りたい場所があったのでおめかしして行った。席に着くなり「今日可愛い服着てるね、似合うね」と褒められて、思わず口元が緩んだ。

「いつもの感じで」とお願いし、いつも通りに可愛くしてもらった。この後カフェに行くと話したからか、ふだんはつけないバームを少し、仕上げにつけてくれた。「今日は花火大会だから、人混みに巻き込まれたくなかったら早めに帰るんだよ」

 


美容室を後にし、電車に乗って2駅。駅前に、2〜3階建ての、背の低い、古いビルが並ぶ。入居しているお店は変わっても、街並みは昔のままだ。目的のビルに着くと、階段の前に木の立て看板が出ている。「150の小さい小さいお店とアンティーク そしてカフェ」。小さい頃から大好きなこのお店は、カフェが併設されている雑貨屋さんで、定額で販売スペースを貸し出している。小さいもので棚の一区画、大きいものだと一畳ほどのスペースがあり、ハンドメイド作品や、古着、食器、本、化粧品、その他さまざまなものが売られていた。手芸好きの母も、昔ここに棚を借りて作品を販売していたことがある。それとは別に、オーナーが趣味で集めたカメラやレンズ、配偶者の方が集めたというアンティーク雑貨もあって、どちらかといえばいつもそれがお目当てだった。

 

階段の壁には、「レンタルスペース&BOX 出店者募集中」と書かれた大きなポスターが相変わらず貼ってあり、おや?と思った。と言うのも、今日4年ぶりにここを訪れたのは、昨夜母から年末で閉店するらしいと聞いたからなのだ。

 

白いタイルの階段を上って、最上階の3階へ向かう。以前は2階の一部も売場だったと記憶しているが、いつのまにか1フロアに縮小していた。2階に入っている飲食店も、知らないお店に変わっている。

 

2階より先は、もう雑貨屋さんの世界だ。階段には木の板が貼られ、踊り場にはレトロな雑貨が飾られ、古びたランプシェードが吊るされている。踊り場からお店を見上げると、正面にカントリー調の木の椅子と小さな丸いテーブル、壁にはドライフラワーの花束やアンティークのテディベアの写真、イベントのお知らせ、その他細々とした掲示物。その愛らしさと懐かしさに胸をときめかせながら、残りの階段を上り、3階に到着。右の扉を開けるとカフェ、左の扉の先は雑貨屋さんになっている。朝から何も食べておらず、お腹が空いていたので、迷わず右へ足を向けた。

 

オープン直後にも関わらず、カフェには家族連れと、友だち同士と見られる若者がいた。お気に入りの窓際の席が空いていることを確認し、注文カウンターへ。カウンター下の大きな黒板に定番メニュー、カウンター上の小さな黒板に、本日のケーキが書かれている。飲み物は大好きなロイヤルミルクティ。ケーキが5つもあって、悩んだ末に小豆と胡桃のパウンドケーキにした。

 

注文を済ませて窓際の席に座り、ゆっくりと店内を見回す。不揃いの四角いテーブルが並んでいる。折りたたみ式もあれば、一本脚のカフェテーブルもある。椅子もさまざまだ。分厚い背もたれに花束の彫刻が施された、どっしりとした椅子。カーブした背もたれに丸い座面の、チョコレート色の椅子。座面に淡いデニム色の布が貼られた、赤茶の椅子。どれも細かな傷があったり、縁の塗装が剥げていたりして、使い込まれた雰囲気だ。布貼りの椅子にもそうでない椅子にも、いろいろなデザインの、かぎ針編みの座面カバーが掛けられている。四角いもの、丸いもの、花形のもの……。色とりどりの毛糸や裂いた布の組み合わせが楽しい。

 

店内を観察していると、最初に小豆と胡桃のパウンドケーキが運ばれてきた。2cmほどの厚さに切られたパウンドケーキが3切れに、ミントの葉をちょこんと載せた、ホイップクリームが添えられている。

 

きっと今、ロイヤルミルクティを煮出しているのだろう。ここのロイヤルミルクティがあまりにも美味しくて、以前母と訪れた際に作り方を尋ねたところ、キッチンの扉を開けて見せてくれたことがあった。「別に特別なことは何もないんだけれど」と説明してくださった通り、たしかにどこのスーパーでも手に入りそうな、シンプルな材料だったし、作り方も至って普通だった。それでも、家で何度試しても、同じ味にはならなかった。

 

「お待たせしました、ロイヤルミルクティです」という声に顔をあげると、以前わたしに作り方を見せてくれた方だった。今日は母と一緒ではないし、マスクもしているので、さすがに気がつかないだろう。でも心なしか、少しこちらを伺うような視線を感じた。

 

白いカップアンドソーサーに、たっぷりのロイヤルミルクティ。表面はふわりと白く、カップの縁に沿うように絞られたホイップクリームが可愛らしい。ひと口飲むと、濃厚なミルクの中にしっかりと主張する紅茶。それでいて全く渋くない。砂糖は入っておらず、溶けてきたホイップクリームの甘みがたまに感じられるのがちょうどいい。

パウンドケーキもいただく。生地は硬くてサクサクしている。優しくて素朴な味わいが、お茶請けにぴったりだ。

 

昨夜図書館で借りた本を持ってきたものの、懐かしい店内と、窓から見える景色が気になって、数ページ読んだところで栞を挟んで閉じた。向かいにある市民ホールは、以前なにかの発表会で使ったことがあったっけ……。そしてまた店内の調度を眺める。このカフェはもともと屋上で、屋根と壁は後から作られたものだ。正面の木の小屋にキッチンとカウンターがあり、三角屋根の棟から前に突き出すように渡した棟木に、白と緑の縞模様のシートが掛けられている。カフェ全体がテントのような雰囲気だ。シートを支える棟木や垂木に飾られた、ガーランド照明やカラフルなボンボンも、お祭りのような楽しげな印象を与えている。

 

そのうちに胸がムカムカしてきて、続いてお腹が痛くなってきた。わたしはふだん、乳製品をほとんど口にしないし、油っこいものも食べないので、少々刺激が強かったようだ。

店内は空いているし、急ぐことはない、落ち着くまでゆっくりして行こうと考えて、また本を開いた。今度は集中して読んだ。ピップ・ウィリアムズの『小さなことばたちの辞書』。題名と装丁に惹かれて手にとったが、なかなか好きな世界観かもしれない。

 

ふと、幼い頃の記憶が蘇った。よく母がここで、バナナジュースを飲ませてくれたのだ。母妹も気に入って、何度か家で再現しようとしたことがあった気がする。黒板のメニューに目を凝らすと、バナナジュースの文字が見えた。これは飲まないわけにはいかない。幸い胃腸の調子もよくなってきたので、迷わず注文した。

 

席に戻ってしばらくすると、キッチンからミキサーの音が聞こえてきた。そうそう、この音!

程なくして、バナナジュースが出てきた。背の高いグラスになみなみと注がれた、クリーム色のジュースは、表面が泡立っている。熟れたバナナの甘い香りが、ふわりと鼻をかすめた。飲んでみると、とろりと濃厚で、記憶よりもずっと滑らかで、クリームをそのまま飲んでいるかのよう。でも後味は爽やかだ。透き通った氷が2つ入っていたが、ジュースはまだ生ぬるいのも、昔と変わらなくて嬉しかった。このくらいの温度も、少し時間をおいて冷えてきた頃も、どちらも美味しいのだ。

 

撮った写真を母に送ったら、「バナナジュース♡」と返信がきた。憶えているのだと嬉しくなり、あれは何歳くらいだったのかなと考える。もう20年ほど前になると気づいて、衝撃を受けた。20年!!

 

思い出のバナナジュースを堪能したところで、そろそろ雑貨を見に行こうと席を立った。カフェを出て、反対側の扉を開けると、メダカの水槽がまず目に入る。それから、壁にかけられた柱時計たち、ガラスケースに並ぶミニチュアの家具、懐中時計にファイヤーキングのマグカップ。これらはオーナーと配偶者の方が出品しているものだろう。奥に進むとレンタルブースが並ぶ。棚ごとに趣きが違って楽しい。棚の上はこれまたオーナーと配偶者の方の領域で、古いもの──カメラ、レンズ、籠、テディベア、毛糸の髪が縫いつけられた布製の人形、手鏡、ヘアブラシ、卓上ランプ、花瓶、ミシン、キャニスターなど──がところせましと並んでおり、目がいくつあっても足りないくらいだ。さらに、梁にもピクニックバスケットが載せられていたりするので、気が抜けない。いちばん奥、突き当たりのスペースにも、古いものがどっさりある。レコード、カメラ、柱時計、小さな木製のピアノ、イギリス製のレース。

 

繊細なレースの模様に惹かれて、そっと広げてみる。ベッドカバーほどもありそうな、細かく揃った編み目が美しいそのレースは、黄ばんで一部に小さなシミがあるものの、どこにも綻びがなく、とても綺麗だ。大切に使われてきたのか、それともデッドストックだったのか。掛け布団のいちばん上に、このレースを掛けたらどんなに素敵だろうと想像した。

 

しかし、気軽にお迎えするわけにはいかない。古いものを手元に置くのは、それなりに覚悟が要るのだ。わたしの代で、その歴史を終わらせるわけにはいかない。今まで綺麗な状態で残ってきたものを、いっとき拝借し、いつかは誰かに譲る。そのバトンを途絶えさせることなく、預かることができるだろうか。このレースに関しては自信がなかったので、潔く諦めることができた。

 

満たされた気持ちで雑貨屋さんを出て、美容師さんの助言に従い早めに帰路につく。帰宅してまもなく、酷い雷雨になった。あまりにも近い落雷の音にびくびくしながら、やっぱりわたしっていつでもタイミングがいいんだわ、と思った。

 

日々をためる

 

飛ぶように日々が過ぎる。たしかな手応えがないまま、サラサラと指の間からこぼれていくような感覚。満足に味わうこともできず、ただ消化していくだけの毎日に、漠然とした焦りがある。

 

いつからこうなってしまったのだろう。はっきりとは思い出せないが、フルタイム労働を始めたことと無関係ではなさそうだ。命を切り売りして、僅かな賃金と換える虚しさときたら。資本主義が憎い。生存の交換条件としての労働は悪である。

 

しかし心までは売り渡したくない。仕事にまつわる大抵のことは業務だからと割り切って、勤務時間外まで引きずることはない。もちろんそれは煩わしい、もしくは多少負担ではあるが暴力と言うほどではない事柄に関してであって、明らかに不当と思われることは批判するし、可能なかぎり意見してきたつもりだ。

 

とにかく、そうやってなるべく生活が労働に支配されないように努めてはみるものの、残業をしなくても週40時間──通勤や休憩時間を含めればもっと──拘束されるのである。時間ばかりではなく、そこに費やされる精神的・肉体的エネルギーを考えれば、わたしの人生において労働がいかに邪魔者であるかは言うまでもない。

 

わずかな休日に予定を詰め込み、カレンダー上は充実しているように見える。けれども、それが本当に求めている充実とは程遠いことはよくわかっていた。以下は2023年11月2日の、SNSの投稿である。

 

"わたしはたしかにフルタイム労働ができる、その上で趣味も楽しんでいる、が、日々の食事や部屋の状態にその皺寄せが来ている わたしの生活は常に破綻している もう何年もセルフネグレクト状態なのだと思う"

"本当はもっとじぶんをケアしてあげたい じぶんのために食材を買い、料理をし、湯船にゆっくり浸かり、こまめに洗濯し、それなりに片づけと掃除のされた部屋で過ごしたい 観に行った展示の図録をただ積んでおくのではなく読んで振り返りたいし、社会問題や語学やその他学びたいことに時間と体力を割きたい"

"美術展や舞台や映画を観に行ったり、旅行したり、山に登ったり、そういう外に出て楽しむ予定は、生活が破綻していても実行できて、休日を無駄にせず趣味を楽しめている気がして、ボロボロの日常から手っ取り早く逃避することができるけれど、本当はそれだけでは満たされないことを知っている"

 

この投稿をした直後に、人生における大きな変化が重なり、生活が一変した。望んだ変化も、望まなかった変化もあったが、幸運なことにそれまでより精神的・体力的に余裕ができた。今となってはこの生活に結構満足している。

 

大きく変わったこととして、ひとつはひとり暮らしをやめて母妹と同居したこと、もうひとつは転職したことがある。今年の2月に8年間続けた接客から事務に職を変え、いかに前職の働き方が、賃金に見合わないハードなものだったかを実感する毎日だ。同時に、罪悪感も抱いている。今もわたしの生活はエッセンシャルワーカーに支えられているのに、そこから逃げて、かつて不満を抱いていたオフィスから現場にあれこれもの言う立場になってしまった。たしかにわたしの生活は改善されたが、根本的な問題解決にはなっていない。転職にまつわる後ろめたさについては、いつか別の機会にまとめられたらと思う。

 

こうした生活の変化によって、わたしの暮らしは少し持ち直した。しかし、過ぎ去る日々のスピードは落ちるどころか、ますます加速するようだった。冒頭に書いた焦りは、今なお消えることはない。どうにかこの速度に抗う手立てはないかと考えていたときに、職場で知り合った子が、1週間分の日記をひとつの記事にしてブログに投稿していることを知った。基本的には1日二言三言書く形式で、肩の力が抜けた、気取らないスタイルだ。最初はその継続力にただ感心していたのだが、そのうちにふと、わたしも真似してみようかという気になった。暮らしの変化は、文章を書く余裕をももたらしたのだ。

 

日々を記録していくことに興味はあった。日記といえば、中学生の頃に、アンネ・フランクに憧れて日記帳に名前をつけ、手紙形式で書いていたことがある。日記帳はハードカバーのなかなか立派なもので、クリスマスに貰った万年筆で書くのがこだわりだったが、そのせいで家以外の場所で書くことはできなかった。それでも数ヶ月は続けたが、そのうちに辞めてしまった。

 

スマホでなら、いつでもどこでも思いついたときに書くことができる。これまでもふと浮かんだアイディアや思考をメモアプリに書き留めておくことはあったが、日記形式をとったことはなかった。ブログの記事となると、ひとつの主題に絞って、なんとなく起承転結があって……などと、体裁を整えなければという気持ちになってなかなか筆が進まないのだが、日記ならもっと自由に書けるのではないか。そう思って気負わずに始めたところ、1日数行のつもりがどんどん長くなり、想定の倍以上になった。この文章だって、本当は1つの記事にするのではなくて、ただ最初に投稿する1週間日記の冒頭に、日記をつけてみることにした経緯を簡単に添えようと思って書き始めたのだ。あまり堅く考えずに気ままに書くほうが、筆が乗るようである。

 

日記をブログで公開することに関して、もうひとつ後押しになったのは、SNSで見た投稿だった。正確な文面までは憶えていないけれど、個人的な語りが足りないという話だったように思う。歴史や政治と言えばとかく中央集権的になりがちだが、個人的な語りだって同じくらい重要であり、政治的だ。この試みがその方の発言の意図に沿うものかはわからないが、背中を押されて、日記という個人的な語りをネットの海に漂わせてみようと思うに至った。単純に、他者のそういった文章を読むことが好きなのもあるが。

 

そういうわけで日曜日から毎日日記をつけている。うまくいけば、週末に記事として投稿したい。この試みがいつまで続くかはわからないし、毎日書くのが難しくなることもあるかもしれないが、気楽にやってみようと思う。しばらく離れていたけれど、やっぱり文章を書くのは結構好きみたい。

 

長い長い前置きはおしまい。