優しくなりたい

‪種差別という言葉を知ったのはつい先日のことである。‬‪

動物搾取への問題意識からヴィーガンの考えかたに関心を持ってしばらく経ったころ、たまたま『講座あにまるえしっくす』が本になると知り購入した。‬
‪最近は疲れて本があまり読めないのだが、『講座あにまるえしっくす』は初心者にもわかりやすく、漫画なのもあり一晩で読むことができた。そして一晩でわたしの価値観は大きく変わってしまった。

‬‪『講座あにまるえしっくす』によれば種差別とは「ヒト以外の動物の利益をヒトの利益よりも低く見積もる考え方や態度」のことを言う。漠然と動物を搾取するのは良くないと感じていたが、種差別という概念を知り、じぶんが動物の尊厳を人間の尊厳よりも下に見ていたことをはっきりと自覚した。同書で引用されていたアイザック・バシェヴィス・シンガーの「動物に対してすべての人間はナチだ」という言葉はあまりにも衝撃的で、読んでからずっと頭の片隅にある。‬
‪今までわたしの「反差別」は対象を人間に限定していた。それこそがまさに種差別である。‬

反種差別という立場から世の中を見まわすと、ありとあらゆる場所で動物が搾取されていることに気づく。‬
‪例えば白砂糖。動物由来ではないのになぜと思ったが、精製に骨炭を使うのでヴィーガンは避けると言う。見えないところでも動物が搾取されているのだと知った。‬‪

骨炭と聞いて真っ先に思い浮かんだのはボーンチャイナだった。ボーンチャイナは牛の骨灰を混ぜて作る磁器。反種差別なら使うべきではないのかもしれない。さらに調べると口縁部を整える際にはなめし皮を、絵付けには膠、そして動物毛の筆が使われるということがわかった。ということは、ボーンチャイナでなくても磁器生産において動物が搾取されているというのが現状なのだろう。‬
‪これが個人的にいちばんショックな事実だった。‬‪

ヴィーガンに関心を持ってから、ウールやカシミヤやシルクの衣服、革の靴や鞄、動物毛のブラシ、真珠のアクセサリーに対する愛着が薄れていくのを感じていた。それらはすべて一生もののつもりで買ったが、これから先も変わらず愛していくのは無理だろうという結論に至った。だからと言って全てをすぐに手放すつもりはないが、少なくとも新たに買うことはないだろう。‬
‪ところが食器についてはあまり考えていなかった。なんとなく大丈夫だろうと思っていた。わたしを癒してくれる、いつも幸せな気持ちにしてくれる食器もまた、多くの犠牲によって作られていたのだ。あまりにも残酷な現実だった。‬

日常生活の隅々まで、こんなにも動物の搾取が当たり前のように行なわれていたのだとようやく気づき、苦しさと罪悪感を覚えながら過ごしている。そして搾取をする側はこんなにも搾取に鈍感になれるのだと実感する日々である。現代では誰もが差別的だと考えるような偏見や価値観も昔は当たり前だったという話を聞くたびにそんなバカなと思っていたが、今ではその感覚がはっきりとわかる。‬
‪気づいてしまったからには戻れない。正直磁器を諦められる自信はまだない。研究の対象とするのはまだしも、所持するのはやめるべきなのだろう。少なくとも今までのように、純粋に愛でることはもうできないのだ。それでも所持し続けるのか。複雑な気持ちではある。‬

‪種差別について知ったことを後悔はしていない。誰も踏まないで生きるというのが、これまでもこれからもずっと変わらない、わたしのいちばん大切な軸だから。これまでもじぶんの中の差別的な価値観とずっと闘ってきたし、そのたびにアップデートしてきたと思う。今回は意識だけではなく衣食住すべてを変える必要があるぶん、今までよりは難しいかもしれない。それでもできる限りの努力をするつもりだ。‬

‪いつか本当に優しいひとになれますように。‬

講座あにまるえしっくす ‬
https://www.pixiv.net/user/16962568/series/51160

 

‪追記‬
‪先日お誕生日のプレゼントに、大切な友だちからカップアンドソーサーをもらった。その一客だけは何があっても本当の一生ものです。‬