日記 3

 

2024年8月4日(日)

 

夏のお出かけの候補地を話し合っているとき、母が「高尾山はどう?」と言い出した。高尾山といえば、特別な装備がなくても気軽に登れる山として有名だ。日帰りで行けて、登山未経験の母も一緒に楽しめそうな山。悪くない。ところが数年前に1度登ったことがある妹は、あれは登山ではないと口を尖らせた。それに、夏の低山は暑いから行きたくないと。最初は長野を検討していたのに、目星をつけたキャンプ場に空きがなく、いつのまにか高尾山が有力候補になっていたのも気に入らないようだった。それでも最終的には折れて、渋々同意してくれた。

 

わたしは高尾山についてあまり知らなかったが、妹やこれまで知り合いに聞いた話から、登山というよりは観光地なのだろうとぼんやり想像していた。ところが調べるうちに、その印象は全く変わった。高尾山にはいくつもの登山ルートがあり、なかなか本格的な山道もあるのだ。よく知られている、お寺のある舗装された道は1号路。途中から分岐する4号路は、吊り橋が有名な、自然豊かな道だ。沢に沿って歩く6号路は、水の流れる音を聞きながら登れるのが魅力的だったが、1号路や4号路とは違い、リフトやケーブルカーの駅を通らないので、麓から山頂まで自力で歩かなければならない。さらにいちばん本格的と言われる稲荷山コースは、明らかに母と行くのは難しそうだった。母は2年前、旅先のわずかな側溝に足を取られて足首を剥離骨折したことがある。最終日だったのは不幸中の幸いだったが、わたしと妹で両側から支えて帰ってくることになった。いくらわたしと妹がついているとはいえ、山で骨折は勘弁してほしい。高尾山マガジンのYouTubeで登山道の様子を見比べ、結局1号路がいいだろうという結論に至った。舗装された道を行く分、景色を楽しむ余裕がありそうだし、森とお寺にも惹かれるものがあった。

 

登ると決まってからは毎晩のように母とYouTubeでリサーチし、すっかり魅了されていたのだが、妹だけはずっと消極的だった。そして当日の朝──つまり今朝──になって、寝不足だから行かないと言い出した。そんなわけで、母とわたしで登ることになった。

 


妹がいない、母とふたりの登山は少し心細いが、険しい道を歩くわけではない。きっと怪我なく帰って来られるだろう。暑いので無理はせず、行けるところまでは交通機関に頼る。JR高尾駅から京王線に乗り換え、1駅乗って高尾山口で下車。登山口に向かう道は、お土産や軽食、登山用品のお店が立ち並び、いかにも観光地という雰囲気だ。しばらく進むとケーブルカーとリフトの駅が現れる。山の空気を肌で感じたかったので、今回はリフトを選んだ。

 

リフトで1号路の1/3ほどを一気に登り、ついに登山がスタート。とは言っても、舗装された道は広々としていて、傾斜も緩い。いつものお散歩気分で気楽に歩く。さすがは山の中、豊かな森に囲まれて道はほぼ木陰になり、思ったよりも涼しく快適だ。名物であるたこ杉や開運ひっぱり蛸と写真を撮り、薬王院の鳥居の前まで来たところで、すぐ傍に4号路への道を認めた。4号路は舗装こそされていないものの、比較的穏やかな道で、1号路とどちらにするか迷ったのだ。少なくとも、見える範囲は歩きやすそうだ。せっかくだし、ちょっとだけ様子を見に行ってみることにした。

 

ところどころ狭くなるが、なだらかな道が続く。すぐ引き返すつもりだったのに、母はまだ進む気満々のようだ。「どこまで行くの?」と訊くと、「吊り橋を見たい」と言う。吊り橋まで行くと4号路の1/3を歩くことになる。迷ったが、わたしも樹木が青々と茂り、薄暗い森に木漏れ日がきらめく、この道の美しさに魅せられていた。足元に気をつけて、無理はせずゆっくり進むことにした。初めて山に持ってきた一眼レフカメラをリュックから取り出し、惹かれるものをどんどん写真に収める。木の根元にびっしりと生えるシダ植物、薄暗い登山道、木の根が作る複雑な陰影。高尾山全体でよく見られたタマアジサイも、何枚も撮った。可憐な花はもちろん、蓮のような蕾が可愛らしい。将来庭に植えたい花リストに追加だ。母のゆっくりとした歩調は、写真を撮るのに好都合だった。

 

4号路に入ってから20分ほどで吊り橋まで来た。記念撮影をして、「これからどうする?」と訊くと、このまま山頂まで登ると母。妹がいないのもあって不安だったが、骨折後の母の努力は知っている。今ではあの頃より丈夫そうだし、旅先では足元の悪い道や自然の中を歩くこともあると言う。なにより、残り少ないと感じている人生を楽しもうとしている母に対して、危険だからあれもするなこれもするなと止めてばかりでいいのだろうか。素直な気持ちに従えば、どんな結果になろうとも後悔することはない。わたし自身よく知っている。ならば行けるところまで行こう。

 

普段のスニーカーで来てしまったことも不安要素のひとつだったが、階段や整備された木道も多く、歩きにくい場所はあまりなかった。わたしたちを追い越す登山者の服装もさまざまで、本格的な装備だったり、カジュアルなTシャツスタイルだったり。全くアウトドアらしくない服装も見かけた。まるで渋谷の街を歩いているかのような、お洒落なファッションの若者が颯爽と歩いていく様は、森の中で合成のように浮いていて不思議な光景だった。こんなにもいろいろな層に親しまれているなんて、素敵な山だ。

 

15分ほど歩くと、ベンチのある開けた場所に出た。標識には山頂まで0.6kmとある。意外と順調で拍子抜けしてしまった。時々立ち止まって休憩はしていたが、ここでしばらく座って休むことにした。木々の間を抜ける風は爽やかで、その心地よさは冷房とは比べ物にならない。風に揺れる木漏れ日の輝きを眺めていると、大きな黒い蝶が視界に飛び込んできた。風を自由自在に操り、青々と生い茂る植物の間を縫うように移動する。なかなかの速さだ。しばらく目で追っていたが、疲れてしまった。目を閉じると、森の音に包まれる。風に揺れる草木の音、蝉の合唱、鳥のさえずり、虫の羽音。さまざまな動植物の気配。どんな音楽よりも癒される。ずっとこうしていたいくらいだ。

 

持ってきたおやつをつまみ、充分に回復したところで、また歩き始めた。この先は道が2つに分かれる。このまま4号路を行くと山頂まで0.4km、いろはの森コースは0.5km。休憩後で余裕のあったわたしたちは、美しい森をさらに堪能すべく、いろはの森コースを選んだ。

 

いろはの森コースはたくさんの鳥の鳴き声が響き渡っていた。何の鳥か全く判別できないのが残念だ。歌うような、リズミカルで美しいさえずり。途絶えることのない、ピヨピヨと賑やかな鳴き声。姿こそ見えないが、たくさんの鳥が生息していることが分かる。

 

途中のベンチで休憩を挟み、いろはの森コースに進んで15分ほどで端まで来たようだ。立ちはだかる木の階段を登り切ると、舗装された道に繋がっていた。ここからは1号路だ。静かな4号路やいろはの森とは違い、山頂を目指す登山者で賑やかな、平らで歩きやすい道をどんどん登る。山頂付近で4号路と合流した。高尾山は本当にルートが多い。いつかぜんぶ歩くことができるだろうか。

 

ついに山頂が見えてきた。山頂に立つことよりは、山の中でゆっくり過ごす時間を重視するタイプだが、やはり山頂標識を見ると達成感がある。山頂は開けていて、ビジターセンターと複数の飲食店があり、多くの登山者で賑わっていた。その奥には、青い山々が何層にも重なる美しい景色が広がっている。空気が澄んだ日は富士山も見えるらしい。

 

しばらく山頂の景色を楽しんだ後、ビジターセンターを見学した。あまり興味をそそられる展示物はなく、疲れもあってさらりと一周してすぐに出てきてしまった。

 

母がかき氷を買いに行った。木陰の席を確保して待っていると、プラスチックのお椀に溢れんばかりに盛られた、真っ白な塊を慎重に運んで来た。大きな雪玉みたいだ。「何味にしたの?」2本刺さっているスプーンのうちの1本を慎重に抜いたが、側面がほろほろと崩れて地面に落ちた。「いちばんシンプルな、ただのシロップ」。へえ、そんな味があるのか。積もったばかりの雪のような、ふわふわのかき氷をスプーンで掬ってひと口。美味しい。口の中でスッと溶ける。癖がなく、ほんのり甘いシロップがとても好みで、今まで食べたかき氷の中でいちばん美味しく感じた。火照った体に心地よい冷たさだ。

 

かき氷を食べていたら、ビジターセンターの建物から、ガイドウォークのアナウンスが聞こえてきた。「所要時間は約50分、森の中をゆっくり歩きながら、高尾の旬な自然をご紹介します」。思わず母の顔を見る。気になるなら参加してみる?と母。時計を見ると、ちょうど30分後に始まるようだ。受付で参加申し込みを済ませ、お手洗いに寄ったり、撮った写真を見返したりしていたら、あっという間に開始時刻になった。5分前に建物前で集合と聞いていたので向かうと、他に参加者らしき姿はない。そのまま時間になり、ガイドさんが出てきて「それでは行きましょうか!」とにこやかに言った。参加者はわたしたちだけだった。

 

最初に「どんなジャンルが好きですか?例えば虫とか、お花とか。せっかくですから、なるべく興味のあるお話ができたらと思って」と訊かれ、ふたりで悩んでしまった。植生のことも、虫のことも、鳥のことも、なんでも知りたい。どんな話でもおもしろい。母が「強いて言うなら花……かな?」と答えたが、案内してくれたガイドさんは虫が好きみたいだった。わたしたちが虫が平気だと分かると、虫が見つかる場所をたくさん教えてくれた。ビジターセンターのまわりにある、樹液がたくさん出ている木を2箇所案内してもらったが、先ほど下見をしたときはいたという蝶が姿を見せず、悔しそうだった。他にも、地面を這うように移動するドロバチ、ヤマノイモの葉を畳んで家を作るダイミョウセセリの幼虫、枝にぶら下がる葉巻のようなオトシブミのゆりかご。詳しい方と歩く森は発見に満ちていた。多くの虫は決まった植物しか食べないのだという。花の名前もたくさん教わったが、ほとんど忘れてしまった。ガイドさんも、「たくさん名前を言いますけど覚えなくていいですからね、テストとかないんで」と笑った。詳しくなくても好きという気持ちが大事だし、なにより高尾山を好きになって、また来たいと思っていただきたいので!と笑顔で話していた姿が印象に残っている。ひとが好きなものについて語るときの、楽しそうなキラキラした表情が好きだ。

 

ガイドウォークの最後に、用意した資料を用いて説明してくれた。高尾山は都心に近い小さな山だが、動植物の宝庫で、確認された植物は1600種類を超える。その数はイギリス全土で自生する植物とほぼ同数なのだとか。理由として考えられるのは、高尾山が暖温帯と冷温帯に跨っていること。山の北と南で植生が異なり、また沢もあることから、多様な植物が観察できるそう。そして植物がたくさんあるということは、それを食べる虫も多くいるということ。昆虫は約5000種いると言われている。さまざまな鳥やムササビも生息している。なんて豊かな山だろう。ますます高尾山が好きになった。

 

せっかくなので気になっていたことを訊いてみた。登山をしているとき、フィールド調査をしている、大学の研究チームか何かと思われる集団と何度かすれ違ったのだ。白い布やビーティングネットを持っていたので、昆虫の調査だろうか。ジロジロ見るのは失礼だし、邪魔になるといけないので話しかけなかったが、どこの所属で、どんな調査をしているのかずっと気になっていた。残念ながらガイドさんも分からないそうだが、そういう調査自体は珍しくないとのこと。お話を聞いて納得だ。フィールド調査は考古学の測量や発掘しか経験がないが、動植物の調査にも興味がある。いつか体験してみたい。

 

参加者にプレゼントしているという、高尾山で見られる植物が描かれたマグネットを受けとって、ガイドウォークは終了。ガイドさんと別れ、そろそろ下山することにした。帰りは1号路から。薬王院の本社は、日光東照宮を思い出す、極彩色の派手な装飾が印象的だった。調べるとやはり権現造らしい。大本堂は彩色がされておらず色合いは地味だが、やはり彫刻による装飾がびっしりと施されていた。1号路にはあちこちに天狗の像が立っている。山岳信仰について深掘りするのもおもしろそうだ。

 

木々の間から夕日が差す緩やかな下りを、ヒグラシの大合唱を聞きながら歩く。この坂は女坂と言い、別にある急な坂は男坂らしい。山の地名はジェンダー規範を感じるものが多くてうんざりする。楽しい気分に水を差さないでほしい。

 

帰りもリフトで下ることにした。手前にあるケーブルカー駅の展望台でしばし休憩。空を見上げると、とんぼの大群が飛び交っていた。最近とんぼを見ないなと思っていたところだったので興奮してしまった。しばらく景色ととんぼを楽しんでから、リフトの駅に向かう。下山を焦らなくていいところも、高尾山の魅力だ。

 

登山をしていると、地球上の隅々までひとの手が入っている気がして複雑な気持ちになることがある。リフトに乗っているときも毎回、こんなに切り拓かれてしまって……と思うが、同時に、山を輪切りにした断面のような景色に惹かれてしまうじぶんもいる。ただ座っているだけで、鬱蒼とした薄暗い森を見上げるのではなく、真横から眺めることができる不思議な体験だ。

 

16時近かったにも関わらず、すれ違う上りのリフトにもそれなりにお客さんが乗っていて驚いた。あとで知ったことだが、ビアガーデンがあるらしい。それでケーブルカーが夜遅くまで動いているのか。

 

こうして無事に下山し、母がお腹が空いたと言うので、ケーブルカー・リフト駅の目の前にある蕎麦屋さんに入った。小盛りのとろろそばを注文。メニューに「そば粉六割ととろろと上質粉で練った」と書かれていたとおり、ツルツルと食べやすい、美味しいお蕎麦だった。基本的には十割蕎麦が好きだが、登山のあとにはこのくらいさっぱり食べられるほうがありがたい。添えられていた山葵も爽やかで、たくさん使ってしまった。

 

下山後の楽しみといえば温泉。途中のお店で妹へのお土産を購入し、高尾山口駅に併設の温泉施設へ。36度〜38度くらいのぬるめのお湯が多くて嬉しかった。すぐにのぼせてしまうので、熱いお湯は苦手なのだ。ぬるい露天風呂にぼんやり浸かっていると、疲れが全て溶け出していくようだった。

 

持ってきた楽な服に着替え、仮眠スペースで少し横になってから帰路についた。お風呂上がりのサラサラの肌に、夜の風が心地いい。

 

最寄駅を降りて川沿いを歩いていると、秋の虫が鳴いていた。引越して来てから初めて聞いたかもしれない。家の近所に自然を感じられる場所があって嬉しい。わたしは特にコオロギの鳴き声が好きだ。酷暑の中でも生き延びて、こうして今年も鳴いてくれていることもありがたい。

 

帰宅して簡単に夜ごはんを済ませ、ベッドに倒れ込んだ。一日中遊んでさすがに疲れたが、嫌な疲労感ではない。これは幸福感の重さなのかもしれない。体に残る知らないシャンプーやボディソープの香りに非日常を感じながら、目を閉じた。

 

 

2024年8月5日(月)

 

ひさしぶりに途中で起きることなく、アラームが鳴るまでよく寝ていた。それにしても眠すぎる。業務に慣れたら絶対に月曜日も在宅勤務にしたい。


オフィスがあるビルの、最上階のカフェでお昼を食べた。Wi-Fiや電源のあるこのカフェは、持ち込みも可能で、電子レンジまで用意されている。明るい木目調の店内には、さまざまなデザインのテーブルと椅子、フロアランプが置かれ、開放感のある、すっきりとモダンな雰囲気だ。

しかしいちばんの魅力はなんといっても最上階ならではの展望で、お台場の海とレインボーブリッジを一望できる。台場公園や鳥の島、芝浦埠頭や品川埠頭の、いかにも人工的な地形。その背後に立ち並ぶ灰色のビル群と、真っ赤な東京タワー。レインボーブリッジの曲線と、島を覆う青々とした樹木が、無機質で直線的な景色に変化を与えている。対岸に並ぶカラフルなコンテナ、停泊する大きな貨物船、白い軌道を描いて行き交う小さな船やボート、海を渡る道路とモノレール。いつまでも見飽きることのない景色だ。涼しい季節になったら、いつもオフィスから眺めているこの景色を歩いてみたい。

 

 

2024年8月6日(火)

 

帰りに前職の売場に顔を出した。今日はとても忙しい日なので長話はせず、軽く挨拶して差し入れを渡すだけ。ついでに立ち寄った売場で、ずっと購入を迷っていたエコバッグを買ってしまった。

棚にずらりと並ぶエコバッグのなかで、ひときわ目を惹く大振りの赤いタータンチェック。手にとっては、今持っているエコバッグがまだ使えるからと、棚に戻すを繰り返すこと数年。愛用して4年目になったエコバッグも気に入ってはいるものの、さすがにくたびれて汚れが目立ってきた。ちょうど、そろそろ替えてもいいかもしれないと思っていたところだったのだ。

すぐに使いたくなってしまい、帰りの電車を待つホームで開封した。張りのある丈夫そうな素材だ。さっそく一緒に購入した日用品を入れてみる。持ち手の部分が太くてしっかりしているので、肩や腕に掛けたときにあまり負荷を感じない。レジ袋のようなフォルムも可愛い。

服装に合わせて持つことができるように、デザイン違いで複数あったらいいなと思うのに、結局いつもひとつのバッグをくたびれるまで使い続けている。この赤チェックにも数年お世話になることだろう。

 

 

2024年8月7日(水)

 

一眼レフカメラで撮ったポートレートを見返す。8年前、カメラを買ったばかりの頃は、どこへ行くにも持っていて撮らせてもらったものだ。友だち、妹、母、親戚。写真には被写体への愛おしさがそのまま写っていた。他者には伝わらないだろうし、決して上手とも言えないが、わたしにとってはどんな写真よりも魅力的で大切なものだ。ただ、こうしてデータをずっと持っていていいのかという不安もある。確かに合意の上で撮らせてもらったはずだけれど、今の気持ちはわからない。

 

もう二度と会えないであろう友だちの姿もある。写真が手元に残ってしまって申し訳ないと思うのに、消すことができない。星の軌道のようにお互いが自然と遠ざかったのかもしれないし、わたしの幼稚さ故かもしれない。それでも身勝手なわたしは、どこかで幸せに暮らしていますようにと願わずにはいられない。今でもずっと好きでごめん。

 

 

2024年8月8日(木)

 

会社に向かいながら、山と渓谷YouTubeで見た、膝に負担をかけない歩き方の練習をしてみる。階段の上りはなんとなく分かる気がしたものの、下りと平地はまるでダメで、ぎこちない動きになってしまう。帰ったら復習しなければ。


明日来るエアコン設置業者の方に「支払いは現金で」と言われたので、帰りにATMへ。紙幣取り出し口が開き、見慣れないおもちゃのようなお札が目に入った瞬間に、しまったと思った。妹が言い出したゲームのことをすっかり忘れていた。今日現金を下ろさないわけにはいかなかったのでどうしようもないが、妙に悔しい。母と帰宅の遅い妹がリビングに揃ったタイミングで正直に申告すると、「じゃあビリね」と妹。残ったふたりの勝負(?)はまだ続くようだ。

 

 

2024年8月9日(金)

 

連休前の仕事を終え、ようやく設置されたエアコンをつけて、自室のベッドで寛いでいると、突然スマホがけたたましく鳴った。緊急地震速報だ。反射的に飛び起きて部屋のドアを開け、物が倒れてこない、柱に囲まれた場所で待機する。幸いわたしの家は全く揺れなかったが、立て続けに大きな地震があると怖い。

 

非常持ち出し袋は一応用意しているものの、内容に不安はある。最後に中身を点検したのはひとり暮らしをしていたときで、引越し後はクローゼットの足元に置いたきり、まったく触っていない。それとは別に、日頃から持ち歩いたほうがいいアイテムもあるのだろう。地震があるたびに、備えが足りていないことを痛感する。

 

しかし防災備品を揃えるには、それなりにお金がかかる。日々の暮らしで精一杯だったら、買おうという気になれるだろうか。

 

わたしは前々から、政府が全市民に防災備品一式を配るべきだと思っている。また、たとえ着の身着のままで避難することになっても、不安を感じることのない社会を目指すべきである。これだけ自然災害の多い環境なのだから、災害への備えは優先度の高い仕事のひとつであろう。備えを個人任せにするべきではない。そして、誰もが安心して過ごせる避難所の体制を整えなければならない。今の政治に、そんなことはとても望めないけれど。

公園に商業施設を建てている場合か。万博に巨額を注ぎ込んでいる場合か。月末に送られてくる給与明細を見るたびに、怒りが込み上げてくる。こんなに少ない収入から徴収されるのも納得がいかないが、取られるならせめて真っ当に使われてほしい。今年かぎりの定額減税くらいでは、怒りは全く収まらない。

 

 

2024年8月10日(土)

 

今日は相互さんと、ヴィーガン対応のお店巡り&コンサート鑑賞会。待ち合わせ場所に現れた相互さんは、大荷物のわたしを見るなり「DVD重かったよね、ごめんね」と気を遣ってくれたが、どう考えてもDVD1枚でこの量になるわけがない。初めてのSEVENTEEN鑑賞会に盛り上がってしまったわたしは、新旧CARAT棒(SEVENTEENのペンライト)に、DVDに収録されている公演で記念に買ったタオル、さらにTHE8さんとお揃いのカエルのぬいぐるみバッグまで、頼まれてもいないのに持ってきたのだった。新旧CARAT棒は今朝それぞれに新しい電池を入れ、動作確認まで済ませた気合いの入れようだ。

 


南口を出て、最初の目的地であるヤッチェゴへ向かう。ヴィーガン対応の韓国料理がいただける珍しいお店で、Instagramでその存在を知ってからずっと気になっていた。間借り営業という事情もあってか営業時間が短く、なかなか訪れることができずにいたので、今回候補に挙がって嬉しかった。韓国料理をいただいてからSEVENTEENのDVD鑑賞会だなんて、素晴らしい流れではないか。

 

地下にあるお店だが、入り口に立て看板が出ていたのですぐに分かった。階段を下って扉を開けるとまず目に入るのが、レジとその奥に続くカウンター席だ。最初にここで注文と支払いを済ませる。迷いに迷って、ピビンパにした。

 

間借りしているのはクラフトビール専門店で、長方形のこぢんまりとした店内は、壁と床の灰色に、カウンターとテーブルの木目が映える、お洒落な雰囲気だ。カウンター席の頭上にはグラスが吊るされ、キッチンの奥には大きなビールサーバーが見える。振り向くと小さめのテーブル席が6つほどあり、座面の高いバーチェアが置かれている。わたしたちは壁側の、いちばん奥の席に座った。反対側の壁一面には冷蔵のショーケースが設置され、ずらりと並ぶ色とりどりの缶が賑やかだ。全てクラフトビールなのだろう。

 

置き場のない足をぶらぶらさせながらお喋りしていると、しばらくしてカウンターからお待たせしましたと声をかけられた。出来上がったお料理を取りに行く。白い器に5種のナムルが美しく盛られ、中心には大豆ミートのポックム(炒め物)とコチュジャン。キムチとコンジャバン(黒豆煮)の小皿も添えられている。これが全て植物性なのだと思うと感激してしまう。相互さんのサンパも美味しそうだった。見た目はロールキャベツのようだが、辛味噌とポックムとごはんを葉野菜で包んだ料理だそうだ。

 

席に着き、写真を撮り終えたら早速いただく。たっぷりの野菜ナムルは優しいお味。特に甘い味つけの染みた、ジューシーな椎茸が美味しかった。コチュジャンのパンチのある甘辛さもちょうどいい。大きめの木のスプーンでごはんと混ぜながら、ひと口ごとにちょっとずつ違う味わいを楽しむ。ピビンパは全体を均等に混ぜてしまうのではなく、ある程度偏りを残した状態でいただくのがお気に入りだ。

思ったよりボリュームがあったためか、朝からほとんど食べていなかったのに、ピビンパだけで満腹になってしまった。コンジャバンは1つだけ味見することができたが、残りとキムチは相互さんが食べてくれた。一緒に食べようと言ってくれた、相互さんがセットで注文したチヂミも食べられず心残りだ。また訪れなければ。

 


お腹が満たされたところで、Googleマップを頼りにカラオケを目指して歩く。しばらく行くと、「オーサワジャパン」と書かれた看板が目に留まった。おもに食料品を販売しているスーパーのようだ。こんなところにオーサワのお店があるなんて知らなかった。19時までの営業だったので、先にカラオケに行って、帰りに寄ることにした。

 

それにしても、ヤッチェゴからそこまで離れていないはずなのに、カラオケが見当たらない。どうやら通り過ぎてしまったらしい。来た道を戻ると、ドラッグストアの2階にカラオケがあるのを発見した。オーサワのスーパーに出会うために見逃したのかもしれない。

 


残念ながらDVDの再生機器はすべて貸出中だったが、機種は選ぶことができた。もともと最初はDAMに入っているコンサート映像を鑑賞しようという話だったので、それだけでも充分だ。

せっかく持ってきたので、ソファの空いたスペースにカエルのぬいぐるみバッグを座らせ、新旧CARAT棒をそれぞれSEVENTEENの色であるローズクォーツとセレニティに点灯して並べ、タオルを飾った。なんとなく、鑑賞会らしい雰囲気が出た気がする。

 

とりあえず片っ端からSEVENTEENのコンサート映像を予約した。時々間にMVも入れたが、「今 -明日 世界が終わっても-」だけは除外だ。わたしはあのMVを今も許せていない(自然災害の辛い記憶を思い起こす可能性があるため、再生する際はお気をつけください)。

 

コンサート会場でもあまり声を出さないわたしは、映像と一緒に口ずさんだり、好きなところを話したりしながら観た。ひととおりSEVENTEENの鑑賞を終えた後は、各々が観たいと思った映像を再生していく。TOMORROW X TOGETHER、Stray Kids、TWICE、ENHYPEN、LE SSERAFIM、NCT127、TREASURE、BLACKPINK、KARA、少女時代。コンサート映像は、演出や衣装、楽曲にグループごとの色がはっきりと表れておもしろい。特にNCT 127のスタイリッシュな演出と、TREASUREの迫力のあるパフォーマンスが印象的だった。友だちと鑑賞会をすると、新たな出会いがあって楽しい。

 


3時間の鑑賞会を終えて、オーサワのスーパーへ。店内にはプラントベースの商品が数多く並ぶ。気になって手にとったものがほとんどプラントベースだなんて、幸せすぎる空間だ。気になるものはたくさんあったが、冷蔵品や冷凍食品は持ち歩けない。隅から隅まで棚を眺め、しばらく切らしていたニュートリショナルイーストと、大きな中華まんのような見た目の、くるみ味噌まんじゅうを購入した。これは母妹と分けて食べよう。


外に出ると、陽が陰ってだいぶ涼しくなっていた。ここでお茶ができたらいいねと話していた、代々木上原のカフェまで歩けそうだ。相互さんがGoogleマップを見ながら案内してくれたのでついていく。池尻大橋から代々木上原は初めて歩くのでワクワクだ。

 

相互さんと会ってからお喋りが止まらないわたしは、街歩きを楽しみながらも、道中喋り続けた。お互いの近況、気候変動や資本主義のこと、ヴィーガニズム、さまざまな格差、自己責任論、その他書ききれない多くのこと。それらは全てわたしの生活と密接な関わりを持ち、ありとあらゆる場面で切り離せないのに、普段はなるべく口にしないように気をつけている話題だ。

前提となる価値観が共有されない場での所謂「政治的」な発言──政治的でない発言など存在しないが──は、じぶんが傷つく可能性が大いにあるだけでなく、相手を傷つけてしまう恐れもある。トーンポリシングに繋がりかねない、危うい考え方なのは承知だ。そうやって議論を避けることができるのもまた特権だからだ。いつでも半径1mのことしか考えられないじぶんに時々嫌気がさす。それでも、相手の価値観やキャパシティを全く掴めない状況での会話では、触れるのを躊躇う。傷つきたくないし、当然傷つけたくもない。そして、敏感にならないこと、深く考えないことがある種の生存戦略であることも痛いほどわかる。シャットアウトしないとやっていられない事情だってあるだろう。

わたしにとって、社会に対する疑問や怒りを安心して話せる相手は貴重なのだ。


Googleマップの示すとおりに歩いていくと、交通量の多い大通りは遠ざかり、やがて住宅地になる。レトロな個人商店やお洒落なカフェが点在する商店街に、目的のお店はあった。ヴィーガン対応でグルテンフリーのタルト専門店、SO TARTE。白を基調としたシンプルな内装は、流行りの無機質カフェに該当するのだろうか。色を抑えた店内で、真ん中のショーケースに並ぶフルーツタルトの彩りが際立っている。ここでもまた、どれを選んでも動物性原料は使われていない。いつも外食の際にそれほど迷うことはないのに、ヤッチェゴでもSO TARTEでも選ぶのに時間がかかったのは、消去法ではなく端から端までどれでも選べるというのもあるかもしれない。タルトの他に、ずっと気になっているアサイーのフルーツボウルもあって悩んだが、結局大きなアメリカンチェリーの載ったタルトと、アイスティを注文した。

 

小さめの丸いタルト生地に、5つのアメリカンチェリーとホイップがバランスよく配置され、金箔まで飾られた愛らしいタルトは、見た目だけでなくお味も大満足であった。瑞々しくて甘いチェリーと、さっぱりした硬めの豆乳ホイップはもちろん、塩気のあるサクサクのタルト生地が、熱々の紅茶に合うこと間違いなしの美味しさなのだ。しかし今日は40分ほど歩いてきたので、さすがに温かい飲み物の気分ではない。近ければ、テイクアウトして家で食べようと思えるのだけれど。豆乳ホイップもタルト生地もまったく重たくなく、最近食が細いのにぺろりと食べてしまった。プラントベースのものを食べるたびに、植物性の食材だけでこんなに美味しいのだから、わざわざ動物性の食材を使うことないのにと思ってしまう。好みもあるとは思うが。

 

タルトを味わいながらまたしばらくお喋りをし、そろそろ帰ろうかとお店を出た。外は暗くなり始め、全体に広がる黒い雲の間から淡い夕焼けが覗いていた。わたしが渋谷から帰ろうかなと言うと、相互さんも途中まで一緒の電車で帰ると言ってくれた。渋谷駅に向かう間も、やはりずっと喋っていた。

 

途中駅で相互さんと別れ、電車に揺られながら楽しかった1日の余韻に浸る。わたしにはこういう時間が定期的に必要だ。普段考えていることを安心して話せる場が。そしてじぶんの言動を振り返り、相手にとっても安心な場であっただろうかと考える。文章は投稿する前に何度でも読み直し修正できるが、会話はそうはいかない。後からあの表現はよくなかったと反省することも多々ある。以前SNSにも投稿したように、一生アップデートを繰り返していくほかないわけだが、わたしのアップデートに他者が付き合う義理はない。安全でないと感じたら遠慮なく、距離を置いたり、縁を切ったりして身を守ってほしい。わたしもセーフティな場を構成する一員になれるように、いっそう努力しようと思う。