オトナになんかならない

※この文章は以前bloggerで公開した記事です
(http://gn8-prj.blogspot.com/2018/07/blog-post.html)

 

「怒るより許すこと、憎むより愛すこと、不満を言うより感謝すること」
捻くれているわたしはこういう言葉を見るたびに "なんのためにみずからすすんで感情を殺すのだろう?" と思う。いつもにこにこご機嫌で現状に満足していられたらしあわせだけれど、現実はそうはいかない。不公平で理不尽なことばかりの世界で、そのような姿勢が良い結果を生むとは思えない。
怒ること、憎むこと、不満を言うことは悪。嫌なことがあってもさらりとかわせるのがオトナ。こういう風潮で得をするのは加害者だということにいい加減気づいてよ。そういうのは他人の尊厳なんかどうでもよくて好き勝手やりたいひとたちが言い出したこと。だから従う必要なんかない。そんなやつらの言う "ひろい心" "寛容" なんかデタラメだ。
許せないなら許さなくていい。傷ついたら、嫌な思いをしたら、不満があったら、怒ろう。文句を言おう。その声は誰かを救う。オトナにならなきゃとじぶんの心を殺し沈黙を選んだ誰かを。
誰かが我慢して保たれる見せかけの平和に価値はない。声をあげることはみんなが息をしやすい世界をつくる第一歩。だから怒ること、文句を言うことはポジティブでクリエイティブなことだと思う。
ほんとうの "寛容" とは選択肢を増やすこと。他者を否定しないこと。わかりあえないまま共存すること。なんでも許せる "ひろい心" を強要することではない。
わたしはこれからも人権にうるさいひとでいたい。だからオトナになんかならない。